2009年9月23日水曜日

霊感修学旅行(8)最終回

 
 床几に座っていた鳥居元忠が、ゆっくりと
立ち上がりました。
「皆の者。親方様の会津討伐の後方を三成に
攻められてはならじと、ここまで防いできた
が、もはやこれ迄。甲賀衆の裏切りにより、
廓に火が放たれた。
 三成軍は、内堀のすぐそこ迄来ている。
 もはや、城が落ちるのは、ときの問題じゃ。
 城に残った者、僅か、三百余名。生き恥を
晒すより、死して、親方様の御報恩に報いよ
うぞ。
 あの笑止千万な治部少輔めに、三河武士の
意地を見せてやろうぞ!」
 元忠は右手の拳を挙げて、えいえいおうっ
と気勢を上げました。
 それに呼応するように臣下の者たちも立ち
上がり、拳を挙げて気勢を放っています。
 茫然自失で、その様子を私達は見ていまし
た。すると、私達をひっ捕らえてきた、脇の
侍がすっと、腰の刀を抜きました。
「おぬし達も観念せい!このわしが成仏させ
てやるわ!」そういうと、私達、四人めがけ
て切りつけて来ました。この時、夏子は侍に
向けて、カメラのフラッシュを焚きました。
「わぁ!」切りつけて来た侍と、背後の侍達
が怯みました。
「今よ!逃げるのよ!」夏子は脱兎のごとく、
廊下を走り出しました。残る私達も夏子の後
に続いて、走りました。
「おのれ!面妖な!待て!」武士達が後方で
騒いでいます。
 こう見えても、私達四人は陸上部なのです。
足には自信があります。
 重い鎧甲冑を着ている侍達が、私達に追い
ついてこれるはずもありません。
 走って本丸を出ると、間もなく外壁が見え
て来ました。
 外壁の周りと入場門の周りは三成軍しかい
ません。
 私達は、この混乱の中、身を隠すようにし
て、門の出口まで来ました。
「どうしよう。あそこに人がいっぱい居るよ
う。あそこを通らないと、出られないよ~」
 幸江は泣きそうな顔でみんなを見ています。
「何とかして、ここを脱出するのよ」
 由美子は悔しそうに唇を噛み、何か思案し
ています。
「本丸からやっと、此処まで来たけど、この
先、更に二の丸、三の丸と抜けて行かないと、
ここから出られないわ」夏子が、もう無理、
と言った様子で、うな垂れました。
「ちょっと、待って。私達、外に出ようとし
ているけど、そもそも、私達の元居た場所は、
あの和室よ!和室に戻りましょう。あそこが
時空の穴になっているのよ」
 私はSF小説で読んだ、《時をかける少
年》を思い出しました。
「あそこに、時空の歪みがあるのよ。あの場
所に戻りましょう。元の世界に戻れるかもし
れないわ」
 このままでは、何万といる、三成軍をかわ
して、城の外に出る事は不可能だと解った私
達は、再び、あの和室に戻ることにしました。
 和室に戻ってみると、城内は静まり返って
いました。もう既に、元忠達は自刃してしま
ったのか?間もなく、ここにも、三成軍が押
し寄せてくるはずです。
 和室には誰もいません。私達四人は手を取
り合って、和室に入りました。すると、あの
興聖寺の竜宮城のような門を潜った時の眩暈
のような感覚に、再び襲われました。
 ふと、気づくと、私達四人は興聖寺の門の
所に佇んでいました。
「戻れたわ!」私が言うと、みんな、手に手
を取り合って、喜びました。幸江は泣きなが
ら、良かったね。よかったね。と、みんなに
抱きついています。
 腕時計を見ると、あれから、三時間程経過
しています。
「いけない!早く戻らないと、先生に怒られ
る!」
 急いで、宇治駅まで戻りました。もう、甘
味処に行っている時間も余裕もありません。
 京都駅までの電車の中で、私達は先ほどの
不思議な体験を思い出して、夢遊病患者のよ
うにぼーっと座席に座っていました。
 この時、知らない人が私達を見たら、若年
認知症の集団だと思ったことでしょう。
 なんとか、門限の時間までに間に合いそう
です。京都駅に着いた私達は、宿までの道す
がら、今日あった事は誰にも話さないで置こ
うと言いました。
 こんな話を誰かに話したら、集団ヒステリ
ーだとか、誇大妄想狂だとか思われるのが落
ちです。下手したら、私達四人は精神病院に
入れられてしまいます。そんなのは勘弁です。
 宿に着いた私達は、疲れがどっと出て来て、
何事も無かったように振舞うのがやっとでし
た。
 後は、鳥居元忠の亡霊が、再び私達のもと
へ出て来ない事を、拙に祈るばかりです。


             おわり。

霊感修学旅行(7)

 私達は、和室の外の様子を恐る恐る、見ま
した。
 石田三成軍は内堀のすぐ近くまで来ている
様子です。
「ここは、伏見城の本丸だわ!」こんな事態
なのに、歴史おたくの夏子は目を爛々と輝か
せて喋りだしました。
「伏見城は豊臣秀吉が築いた、巨郭よ。その
守りは堅固で、難攻不落の城なのよ。
 城を守るのは鳥居元忠。その兵力、僅かに
千八百人。対する石田三成軍は総勢四万人よ。
その結果は火を見るより明らかだわ。
 でも、元忠はここを10日以上も持ち支え
たのよ。
 敵は外ばかりではなく、内部にもいたの。
それが、伏見城内にいた甲賀衆よ。
 甲賀衆は外に残して来た妻子を捕らえられ、
内通しなければ、妻子を皆殺しにすると、脅
されたのよ。
 内通した甲賀衆は伏見城内に火事を起こし
たの。
 その為、伏見城の戦いによって、お城はそ
の大半を消失しているわ」
 夏子が一挙に喋ると、みんなは、ふんふん
と頷いているが、それどころじゃない。
「そんなの聴いている場合じゃないわ。私達
の命が危ないのよ。早くここを脱出しなきゃ、
焼け死ぬか、鎧武者に切り殺されるわ!」
「そうね。早く逃げましょう」夏子は現実を、
やっと認識したようです。
 城壁の外の騒がしさに比べて、城内はやけ
に静かでした。
 周りを見回しても、火の手が上がっている
のに、人っ子一人いません。
「これは、きっと、鳥居元忠以下の家臣は大
広間に集まっているに違いないわ」
 夏子は深刻な表情でいいました。
「え?!それじゃー、自殺の為に……」
 私の脳裏に、あの血天井の夥しい血の跡が
蘇えりました。
 とんでも無い場面に遭遇したものです。
 四人とも、一様に膝が、がくがくと震えて
います。
 と、そこへ、どやどやと、三~四人の武者
が私達の方へ駆けて来ました。
「お主達は何者だ!おのれ!裏切り者の甲賀
衆か!?」先頭の男が言いました。
「ち、違います!」私が言っても、その男は
聞く耳を持ちません。目が血走っています。
「この女子共をひっ捕らえよ!大広間に連れ
ていくのだ!」男の言いなりに、私達は大広
間へ連れて行かれました。
 大広間に着いてみると、そこには夥しい人
数の城内の侍達が集まっていました。その数
は、約三百名程。中には女子供も何人かいま
す。
 昨夜見た、総大将の鳥居元忠以下、家臣の
大将達が上座に並んで、甲冑のまま、椅子に
座っています。
(やばい!非常にやばい!これは、今まさに、
自刃しようとする直前の現場だわ!)
 みんなも同じ気持ちか、皆それぞれ、その
目は怯えています。
 
 
             つづく

2009年9月22日火曜日

霊感修学旅行(6)

 朝、目覚めると、私は、布団の中で眠って
いました。
 周りにクラスメートの由美子や、みんなも
寝ています。
(良かった。あれは、夢だったんだ)
 目が醒めて、牢屋の中じゃなかった事に、
心底、安心しました。
 それにしても、妙にリアルな夢でした。
 夜中に起きた時に聞いた、誰かが歩く音は
鎧武者が歩く音と同じでした。昨夜の夢と、
何か関係がありそうです。

 旅館の食堂で、朝食を食べながら、昨夜の
事を由美子や夏子、幸江に話しました。
「昨夜ね。廊下で重い足音がしたんだけど。
あれは、絶対、鎧武者の足音よ。間違いない。
私、あの後、変な夢を見たのよ」
「ようこに起こされて、トイレに付き合った
んだけど。何も聞こえないし、誰もいなかっ
たわよ。ようこ、寝ぼけていたんじゃない
の?」由美子は私をからかうように言いなが
ら、手前のたくあんを、お箸につまむと、ポ
リポリと音をたてて食べています。
「本当だって!あの後、すぐ寝たでしょ。そ
れで、私、変な夢を見たのよ。妙にリアルな
夢だったわ」
「変な夢って、どんな夢?」味噌汁をすすり
ながら、幸江がおっとりした様子で聞きまし
た。
「それがね。私は、和室のある一室にいるの。
鎧甲冑を着た、戦国武将がどやどやと廊下を
走ってくるのよ。その大将が鳥居元忠で、私
は危うく、刀で切られるところだったの。そ
れで、牢屋に入れられちゃったのよ」
 ここまで、一気に言うと、みんなは笑いだ
しました。
「あはは。ようこ。その夢、面白い」
 夏子は可笑しくてしょうがないといった様
子で、テーブルを叩いています。
「笑い事じゃーないのよ。妙にリアルだった
んだから。もしかしたら、私、タイムスリッ
プしたのかも?」
「そんな訳ないじゃん。あはは」夏子は腹の
皮が捩れるーといって、お腹を抱えて笑って
います。
「本当だってばー」私が真面目に言えばいう
程、みんなは笑います。
「もういいよ!信じて貰えなくても!」私が
頬をぷーっと膨らませていうと、みんなの笑
いはやっと止まりました。
「ようこ。思い入れが激しいから、そんな夢
見るんだよ。もっと、気楽に行こうよ」と由
美子は私の横で、肩をポンと叩きました。
「今日さぁ~。興聖寺に行くの、よそうよ。
宇治の甘味処だけ、行こうよ~」
 私がいうと、夏子はとんでもないという様
子で、「だめ!最後のコースなんだから、絶
対、見なくちゃ、だめよ」と、お箸を持った
まま、手を横に振っています。
「どうなっても、知らないから!」私は怒っ
ていうと、みんなは、まじ?という様子で私
を見ました。
「大丈夫よ。何も起きないわよ。最後の日程
なんだから、気楽に行こうよ。ね?」
 由美子が私をなだめると、それ以上、私は
何も言えなくなって、しぶしぶ了承しました。

 朝食を終えた私達四人は、旅館のロビーに
集合すると、今日の日程を確かめました。
 夏子が地図を広げて、興聖寺の場所はここ
よと指し示しました。
 電車で、京都駅から宇治駅まで、三十分程
です。さらに、宇治駅から歩いて、三十分程
の所に興聖寺はあります。コースとしては、
興聖寺に見学に行った後、駅周辺の甘味処に
行く予定です。
「さあ。今日も元気に行ってみよー!」と夏
子は右手の拳を振り上げました。
 私は、何も起きなければ良いがと、気乗り
のしないまま、みんなの後を付いて京都駅ま
で歩いて行きました。

 程なく、宇治駅に着くと、地図を見ながら、
川沿いの道を歩いて、やっとの事で、一行は
興聖寺の入り口の古びた門に着きました。
「夏子、ここ遠いじゃん」幸江はへなへなと
川べりの堤防に寄りかかりました。
「ちょっと、遠いわねえ」夏子も疲れた様子
でいうと、「もう直ぐよ。さぁ。ファイト」
といって、興聖寺の参道を歩いて行きました。
 
 まもなく、竜宮城のような門が見えて来ま
した。そこから、本堂の中に入り、血天井を
見学しました。ここにも、シミのある天井板
に、人間の手の跡や、足の跡が付いています。
 夏子はここでも、パチパチと写真を撮って
います。
 今回は、時間も無いので、早々に本堂を出
て、帰りました。
 帰りに、私達四人で、竜宮城のような門を
くぐる時に、異変を感じました。
 何か目が廻るような感じになって、ふと、
気づくと、私達四人は、見たことのある、和
室の一室に居ました。
「あれ?ここ何処?」夏子はきょとんとして
います。みんなも一様に何が起きたのか解ら
なく、茫然としています。
 ここは、紛れも無い、夢で見た、あの和室
の所です。私は驚きで、一言も喋れません。
 あの悪夢が再び、現実となったのです。し
かも、今回は友達も一緒です。
「あわわわ。ここ。ここよ。私が夢に見たの
は!」私は、必死にみんなに説明しました。
「ええーー!?」由美子も夏子も幸江も、目玉
が飛び出しそうな勢いで驚いています。
「これは夢じゃ無いのよ!現実なのよ!ここ
は鳥居元忠達が自刃した伏見城の中なの
よ!」
「何でそんな事が起きるの!在りえない
わ!」由美子がいうと、「そうよそうよ」と、
他の二人も追随しました。
「とにかく、現実にこうして、起きているん
だから、仕方ないじゃん」私は途方に暮れて
言いました。

 お城の外から、「わぁわぁ」と人の怒号が
聞こえてきます。お城のあちこちで火災が発
生しているようです。
 事態は私が昨夜、見た時よりも更に悪くな
っているようでした。


             つづく

霊感修学旅行(5)

 一日にお寺を三箇所も廻ったので、私は疲
れて、早々に寝てしまいました。
 夜中に、トイレへ行きたくて、目が醒めま
した。普段は朝まで起きないのですが、寝る
前にみんなと話ながら、ジュースをがぶ飲み
したのがいけなかったようです。
 布団から、上半身だけ起き上がると、廊下
の方から、誰かが歩いているような、重い、
軋む音が聞こえました。
 何か、がちゃがちゃとした音も聞こえます。
 昼間の事もあり、怖くなった私は隣で寝て
いる由美子を揺り起こしました。
「ねぇ。由美子~。由美子ってばー」
 由美子は、うーんと唸って、なかなか起き
ようとしません。
「何よー。どうしたの?」やっと、由美子は
目が醒めたようです。
「あのね。廊下の方から音がするの。誰かい
るのかなぁ?」由美子は枕元の腕時計を見て、
「こんな、夜中に誰か起きてるの?」と、目
をこすっています。
「なんかね。重い足音が聞こえたんだけど」
「足音って?」
「うん。なんか、がちゃがちゃと音がして、
誰かが、部屋の外の廊下を歩いている音がし
たんだけど……」
「ええー!? ほんとに?夢でも見たんじゃない
の?」
 ここまで聞いて、やっと、由美子は理解し
たらしい。
「そんな事、無いって。あたし、トイレに行
きたくて、目が醒めたら、聞こえたんだか
ら」と、私がいうと、「ほんとにー?」とい
っている由美子の腕に鳥肌が立っているのが
見えました。
「ねぇ。怖いよー。どうしよー。あたし、ト
イレ行きたいんだけど。由美子、一緒に行こ
うよー」
「しょうが無いわねー。小学生じゃないんだ
から。じゃー、一緒に行ってあげるよ」
 二人は、こわごわと部屋の襖を開けて、部
屋の外の廊下に出てみると、そこには、もち
ろん、誰もいませんでした。
「ほらー。誰もいないじゃん」
「本当に、さっきは音がしたんだってば!」
私は半ば、やけくそ気味に言うと、「はい。
はい。わかりました」と、由美子にはぜん
ぜん取り合って貰えませんでした。
 トイレから部屋に戻ると、由美子も私もす
ぐに布団を被って、また寝てしまいました。
 布団の中で、あの音は何だったのだろう?
と、釈然としない気持ちのまま、再び、眠り
に落ちました。

(あれ?ここは何処?)
 私はいつの間にか、和室の一室にいます。
 周りにはクラスメートが、一人も居ません。
 襖を開け、廊下に出てみると、そこは、泊
まっている旅館の廊下と全然違います。
 廊下の向こうから、どやどやと人の集団が
走ってくるのが見えました。
 それを見た私の心臓は口から飛び出しそう
になりました。
 なんと、その集団は鎧甲冑を着ている武士
の集団でした。
(え!?何?何が起きたの?)
 これは夢だと思いました。しかし、凄くリ
アルな夢なのです。
 武士の集団はどんどん、こちらに近づいて
きます。やがて、武士の集団の先頭を走る男
が、佇んでいる私を発見したようです。
 集団は一旦、立ち止まり、私の出で立ちを
見て、向こうも驚いているようです。
 集団の頭らしき、先頭の男が一人、こちら
に歩いて来ました。
 私は、足ががくがくして、一歩も歩けませ
ん。鎧武者が間近に迫りました。
「そこの女。面妖な。何だ、その、斬ばら髪
は! なんだ、その着物は!敵の間者か!」
 佇んでいる私に向かって、鎧武者は言いま
した。
「あの。あの……」私は言葉が出ません。
「ぬぬ。怪しい奴。このわしが叩き切ってや
る!」鎧武者は腰の刀を抜くと、私に切りつ
けて来ました。
 咄嗟に私は言いました。
「鳥居さん!ごめんなさい!」
「何?なんで、わしの名前を知っている?ま
すます怪しい奴。なんで、わしの名前を知っ
ているんだ?」
 咄嗟に私の口から出た言葉が、鳥居だった
のには、私自身も驚きましたが、向かいの相
手の姓は鳥居だったようです。
(もしかして、前にいる男は鳥居元忠?まさ
かね)
「あのう。鳥居元忠さんですか?」
 私がおずおずと聞くと、「いかにも、拙者
は鳥居元忠だ」と、鎧武者は答えました。
(ええー!?何これ?夢?)
「そちは、何者だ?」と、鳥居元忠が聞くの
で、私は正直に答えました。
「○○高校。三年二組のようこです」
「何?今、なんと言った?益々、面妖な」
(しまった。まずい)
「あ。あたしは桂村のようこです」
 出鱈目をいうと、鳥居元忠はそんな村あっ
たか?という表情で言いました。
「まあ。良い。女こどもを切るのは偲びない
ので、お主は牢屋に入って貰うぞ」そういっ
て、鳥居元忠は部下に命ずると、先に行って
しまいました。
「ああー。ちょっと、待って下さいよー」私
の言葉も空しく、既に鳥居元忠には届かなか
ったようです。
 私は部下に捕まり、牢屋まで連れていかれ、
座敷牢のような処に入れられてしまいました。
(まずい。非常にまずい。ここは戦国時代。
しかも、鳥居元忠が自刃する前の伏見城)
 牢屋に入れられた私は、早く夢から醒めな
いかな、と思いながら、泣きながら寝てしま
いました。


              つづく

2009年9月21日月曜日

霊感修学旅行(4)

 夏子だけは例外で、目を輝かせて、お坊さ
んの説明を聞いていました。
「夏子さぁ~。怖くないの?」
 由美子は呆れた顔で夏子に聞きました。
「ぜんぜん。あたし、これ、ずっと見たかっ
たんだ」
「気が知れないわ」由美子は相手にできない
といった様子で、すたすたと先を歩いて行き
ました。
「ああ。待ってよー。もっと、じっくり見よ
うよー」夏子は由美子の後を追って行きまし
た。
「あ、由美子。私も行くー」
 残された私と幸江も由美子の後を追いまし
た。
 養源院を出た私達は、次の目的地の正伝寺
に向かう予定です。
 しかし、実際に血天井を見てしまい、これ
は実際に在った事なのだと思うと、背筋がぞ
くぞくして、私は気乗りがしませんでした。
「ねえー。次、行くのー?これで止めて、ど
こか、甘い物でも食べに行こうよー」私がい
うと、夏子は手を横に振って、「何言ってる
の?だめだめ。予定通り、全部見るの!学校
にも、予定表、提出してるでしょ」
「だってー。怖いんだもん」
 私は泣きそうな顔でいうと、幸江も由美子
も、うんうんと頷いている。
「何、言ってるの。怖い事なんて、なんも無
いよ。さ、行こう」といって、またもや、先
をずんずんと歩いて行きます。
 門を出て、タクシーを捕まえた私達は、次
の目的地の正伝寺に向かいました。
 
 正伝寺に着いた私達は綺麗な庭園を見た後、
本堂の廊下にある血天井を見学しました。
 やはり、ここの天井にも、赤茶けた、おび
ただしい血のシミ跡が付いています。
「怖いよう。ね、ね。早く行こう」
 私は、熱心に見ている夏子を促して、お堂
を出ました。

 後から解った事なのですが。近年の目覚し
い、血液学の発展によって、ここの天井を分
析した結果、シミは紛れも無く、人間の血液
だと判明したそうです。

「次、行くわよ」夏子がいうと、「ねー、や
っぱ、止めようよー」私は夏子の袖を引っ張
りながら、駄々をこねました。
「今日は、あと一つだから」といって、夏子
はタクシーを呼ぶため、お寺の受付の所に行
ってしまいました。
 程なく、タクシーが来て、今日の最後の源
光庵に向かいました。源光庵は正伝寺から近
い所にあり、7~8分で着きました。
 当然ながら、ここも、お堂の廊下の天井は
血天井です。中には、人間の足跡がくっきり
と付いている箇所もあります。
「ひー。あ、あれ。人間の足跡」私が天井を
指さすと、みんな、一斉にその方向を見まし
た。
「本当だ!?」幸江と由美子はそれを見て、引
いています。
 夏子だけは、平気な顔をして見ています。
 あろうことか、夏子はカメラを取り出して、
写真を撮ろうとしています。
「止めなさいよ。夏子」私が止めると、「何
で?」と惚けた顔をしています。
「なんか、写っていたら、怖いじゃん」
「何が?」
「何がって。心霊写真――」
「あはは。大丈夫よ。そんなの写る訳ないじ
ゃん」夏子は豪快に笑うと、私が止めるのも
聞かず、パチパチと天井の写真を撮りました。

 見学を終わった私達はタクシーを呼び、宿
に近い所で降りて、お蕎麦屋さんで食事をし
ました。
「ねえ。明日も行くの?」私が夏子に聞くと、
当然といった顔で、「当然よ。明日は宇治市
にある興聖寺よ。見学した後、駅の近くの甘
味処に行きましょ。老舗のお店で、抹茶アイ
スとか、宇治金時とかあるのよ」
 他の二人は、宇治の甘味処に行くのは、賛
成だったけど、興聖寺はあまり、気乗りがし
ないようでした。

 宿に戻って、その夜。私は恐ろしい夢を見
ました。


              つづく

2009年9月19日土曜日

霊感修学旅行(3)

       ・・・

 修学旅行の初日、私達三年二組の一行は宿
に着きました。
 翌日は、先生から、宿へは五時までに戻っ
てくるようにと言われ、いよいよ、プラン通
りに行動することになりました。
 宿は京都駅から程近い所にあります。まず
はプランに沿って、一番近い所にある養源院
から見て廻ることになっています。
「じゃー、養源院にレッツゴー!」
 夏子が嬉々として地図を片手に歩き出しま
した。
「ええと。ここの場所はここだから……。こ
っちよ」夏子は大股で肩で風を切って、四人
の先頭に立って歩いて行きます。
「ちょっと待ってよー」
 私達三人は回りをきょろきょろと見回しな
がら、先頭を歩く夏子について行くのがやっ
とでした。
「こっちよ!」三十三間堂前に着いた私達は
夏子の指し示す門の中に入って行きました。
 養源院に着いた私達は、早速、お堂の中に
入り、本堂廊下にある血天井を見学しました。
 天井はシミだらけで、いかにも血の跡のよ
うに見えます。お坊さんが、長い竹竿で、こ
こが頭で、ここが手とか、指し示して、説明
しています。「きゃっ!あそこに人間の手の
跡が!」幸江が口に手を当てて、天井の一角
を指さしています。確かにそこは、人間の手
の跡のように、生々しく見えます。
 夏子から、事前に聞いていた話を思い出す
と、ぞくぞくしました。
 鳥居元忠とその家臣達が私達の背後に居る
ような気がして、思わず私は背後を振り返っ
てしまいました。勿論、そこには、私達の後
ろに続く、観光客しか居ませんが、背筋がぞ
くぞくします。昔から、霊に感応しやすい体
質の私は、この時、ここに来てしまった事を、
少し後悔しました。
 そして、子供の頃を思い出しました。
 あれは、私が幼稚園生の時でした。私の家
は海岸に近い所にありました。近所のお友達
の哲也君が面白い物があるから、見に行こう
というので、家からちょっと離れた所にある
砂丘の所に行きました。
 哲也君は砂丘に着くと、「ここだよ」とい
って、砂丘の一角を指さしました。
 よく見ると、砂場のあちこちの表面に円錐
形の凹みがあります。
「よく見てろよ」と哲也君はいうと、近くを
歩いている蟻を捕まえて、その円錐形へ落と
しました。蟻は一生懸命、円錐形の所から這
い上がろうとしますが、砂が落ちて滑って、
上がれません。すると、円錐形の底の方から、
二本の爪のような物が出てきて、蟻を捕まえ
てしまいました。蟻はもがくけど、がっちり
と捕まえた爪は蟻を逃しません。
 やがて、蟻は砂の中に曳きづり込まれてし
まいました。
 その様子を、驚いて見ている私に、哲也君
は自慢げに「これはな。蟻地獄っていうん
だ」と教えてくれました。
 そして、蟻を捕まえては、蟻地獄に落とし
ました。私も、蟻を捕まえて、落としてみま
した。残酷な気持ちが子供心に沸きました。
 哲也君は円錐形の砂の底から、小さな虫を
ほじり出しました。
「これが、蟻地獄だよ」といって、手の平に
載せて、見せてくれました。3ミリ程の小さ
な虫はお尻を使って、一生懸命、砂の中にも
ぐろうとしていますが、そこは人間の手の平
の上です。潜れません。
「ほれ、ようこも持ってみろ」といって哲也
君は私の手の平に蟻地獄を載せました。
 蟻地獄のお尻が、もぞもぞと手の平をほじ
るので、とても、くすぐったかった思い出が
あります。
 私は「いやっ!?」といって、蟻地獄を放り
ました。 
 その夜、私は恐ろしい夢を見ました。
 蟻と蟻地獄が私の枕元に立って、恨めしそ
うに、私を見ているのです。枕元に立ってい
る蟻と蟻地獄はとても大きいのです。人間の
子供位の大きさがありました。しかも、蟻も
蟻地獄も、どういう訳か、虫のくせに、しっ
かり、二本足で私の枕元に立っているのです。
 私は「蟻さん、蟻地獄さん、ごめんなさ
い」と言って、布団を頭から被って震えてい
ました。少し経って、そっと、布団の中から
顔を出して、枕元を見てみると、そこには、
もう、蟻も蟻地獄も居ませんでした。
 今でも、妙にリアルに思い出されます。
 あれは、虫の霊が出てきたものと、今でも
思っています。
 ふと、我に返って、みんなを見回すと、夏
子を除いて、みんな一様に、気味の悪そうな
顔をしています。
 夏子だけは例外で、目を輝かせて、お坊さん
の説明を聞いていました。
 
              つづく

霊感修学旅行(2)

「血天井っていうのはねぇ。あるお寺さんに
ある天井板の事なの。その天井板には足跡と
か、手の跡とかのシミが付いているのよ」
「なぁんだ、シミか。つまんないの。で、そ
のシミを見に行きたい訳?」由美子が呆れた
ようにいうと、夏子はむっとしたように「そ
れが、普通のシミじゃ無いのよ。このシミは
人間の血で出来たものなの。戦国武将の血
よ」といった。
「へー。なんで、戦国武将の血が天井に付い
ているの?」由美子は興味が沸いてきた様子
でした。
 みんなは興味深そうに夏子の話を聞いた。
「時は戦国時代。豊臣秀吉が天下を統一し、
平和な時代がやって来たように見えたけど、
秀吉の死後、勢力は徳川家康率いる東軍と石
田光成率いる西軍に真っ二つに分れて、関ヶ
原の合戦になった事はみんなも知っているわ
ね」
 夏子がいうと、みんなはうんうんと首を縦
に振った。
「この関ヶ原の合戦の前哨戦になったのが、
『伏見城の戦い』なの。関ヶ原の戦いの直前
に、家康は上杉景勝討伐に向かったの。それ
で、城のお留守番役として、鳥居元忠以下、
二千名程で伏見城を守ることになったのよ。
 みんなは、鳥居元忠を知らないわね」
 みんな、うんうんと頷く。
「鳥居元忠という武将は家康が今川の人質と
なっていた、子供の頃からの側近の一人なの
よ。元忠は家康の絶対の忠臣と言われている
わ」みんな、ほおほおと頷く。
「お話を戻すとね。家康が上杉討伐に京を出
立すると、これを待ち構えていた石田三成の
軍勢九万が伏見城を攻撃したのよ」
 みんなはうんうんと頷いている。
「鳥居元忠とその部下は三成軍を少しでも長
く京に留まらせ、会津まで援軍に行かせない
ようにと奮戦したのだけど、遂に力尽きて、
落城する際に、鳥居元忠以下380名以上が
自刃したと言われているの。そして、元忠達
の遺骸は関ヶ原の合戦が終わる迄の2ヶ月も
の間、伏見城に放置されていたの」
「ええー?!二ヶ月も?」幸江が気持ち悪そう
に、顔をしかめて聞いた。
「そうなの。遺体からの血痕や顔や鎧のあと
が縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っ
ても落ちなくなったといわれているのよ。そ
れで、血の付いた廊下の板は自刃した武士た
ちを弔う意味で、お寺の天井板にはめ込んだ
のよ。この床板は五つのお寺に分けて、天井
板として供養されているの。
 そのお寺が京都にある、正伝寺 源光庵 
養源院 宝泉院 興聖寺というお寺で、血天
井として、供養されているのよ」
 あまりの夏子の歴史おたくぶりにみんなは
「へー」という顔で夏子を見た。
「で、その血天井巡りをしたい訳?夏子は」
 由美子がやれやれと、両手の平を上に向け
て開いた。
「そうなの。だめ?」夏子が探るようにみん
なを見回した。
「そうねぇ。なんとなく、興味が沸いてきた
わね。行ってみる?」私がいうと、夏子は行
こうよ、行こうよと、みんなを説得した。
「血天井巡りだけじゃ、つまんないから、一
緒に、甘味所巡りもしようよ」由美子がいう
と、みんなは一も二も無く賛成した。
 こうして、血天井巡りが決定し、巡る順番
と日程を決めました。
 京都での自由行動は二日間あるので、日程
初日は、養源院→正伝寺→源光庵→宿として、
二日目は、興聖寺→甘味所巡り、とした。
 残りの一つの宝泉院は遠いので、今回は外
しました。
 日程表を作成し、学校へ提出し、これで、
私達の血天井巡りは、準備万端です。


              つづく

2009年9月13日日曜日

霊感修学旅行(1)

    霊感修学旅行

           ようこ( ̄ー ̄)v

 この物語はフィクションです。物語に登場
する人物及び団体は架空のものです。実在の
人物および団体とは一切関係ありません。

 みなさん、こんにちは。今回は私が修学旅
行に行った時のお話をしてみたいと思います。
 
 今では修学旅行先に海外も珍しくないよう
ですが、関東では、私が高校生の頃の修学旅
行先といえば、京都・奈良方面が多かったと
おもいます。
 私たちの学校もご多聞に洩れず、修学旅行
先は京都・奈良方面でした。
 ホームルームの時間に、担任の沼田先生が
修学旅行について話ました。京都で二泊し、
その後、広島へ行って、原爆記念館を見てく
るそうです。京都ではグループ単位に自由行
動で、行動計画書を提出する事になりました。
 今では修学旅行で、グループ単位の行動は
珍しくないようですが、私たちの頃は団体行
動が主流だったので、その頃にしてはめずら
しい部類だったとおもいます。
 早速、クラスで、普段から仲が良い、由美
子、夏子、幸江と私の四人が集まり、グルー
プを作りました。
 四人は休み時間になると、いつもつるんで
行動をしていました。
 由美子は行動派の子で、何事も進んで物事
を進めるタイプで、クラスでも、リーダー的
存在の子でした。
 夏子は、ちょっと、お調子者で、歴史おた
く。
 幸江は優柔不断でおっとりとした子でした。
 今回の修学旅行先が京都・奈良という事で
一番喜んでいたのは歴史おたくの夏子でした。
 来週のホームルームまでに、それぞれ、何
をしたいか考えて来ることになりました。
 
 ・・・

 次のホームルームが来て、四人集まって、
ああでもない、こうでもないと行動計画を練
っていると、夏子が突然みんなに向かって言
いました。
「ねえねえ。血天井って知ってる?」
 それまで、わいわいがやがやと騒々しく話
していた私達は、(何を言っているの?この
子は?)という顔で唖然と夏子の顔を見まし
た。
「今、何て言ったの?」と由美子が眉をしか
めていうと、「血天井……。」と夏子は罰が悪
そうに俯きながら爪をいじっています。
「何それ?気味悪い」と、幸江が恐ろしそう
に聞きました。
「血天井、知らないの?」と夏子が得意気に
言うと、みんな一斉に「そんな物、知らない
わよ!」と言いました。
 夏子はここぞとばかりに歴史おたくの血が
騒ぐようで、血天井の説明を熱く語りだしま
した。
 
              つづく

2009年9月9日水曜日

たっくんの完全なる飼育(15)最終回

 後日、理恵は信君の車に乗って、ようこの
マンションの前まで行った。
 ようこが出てくるまで、車の中で、張り込
みをしてみる事にした。

    ・・・

「ちょっと、あんたさぁ。お昼のご飯、買っ
てきてくんない?」
 ようこは風邪をひいてベッドに横になった
まま、竹部に云った。
「ああ、良いよ。夜のご飯は僕が作るから」
 今では竹部は手錠も足縄もされていなかっ
た。竹部はもはや、逃げようとはしなく成っ
ていた。
 ようこが、風邪で倒れてから、竹部が、よ
うこの看病をし、炊事洗濯などをしていた。
 今では、すっかり、普通の夫婦のような生
活をしていた。
「じゃ、行ってくるね」
 そう云うと、竹部は玄関の鍵を開けて、出
掛けて行った。
 
    ・・・

 理恵達は車の中でしばらく、マンションの
入り口を見張っていた。
 時間はお昼近くになっていた。
 諦めて、食事に行こうかと思った矢先に、
マンションから、たっくんらしき、人物が出
てくるのを発見した。
「信君。ね、あれ、たっくんじゃ無い?」
 幾分、痩せ細ってはいるが、マンションか
ら出てくる人物は間違いなくたっくんだった。
 理恵と信は車から出ると、急いで、たっく
んの所まで、走り寄った。
「竹部!おい!俺だ!」
 信が声をかけると、たっくんは立ち止まっ
た。
 たっくんは、はっとした様な顔をしている。
「おい。竹部。お前、無事だったんだな。さ、
帰ろう」
 信君がたっくんの腕を掴むと、たっくんは
それを振り払った。
「よしてくれ。僕は何処へも帰らない。ここ
が僕の家だからね」と、たっくんは今出て来
たマンションを振り返って云った。
「どうしたんだ?俺たちが、どれだけ、お前
の事を心配したか。実家のおふくろさんも悲
しんでるぞ」
「そうよ、たっくん。ね?帰りましょう」と理恵
は云ったが、たっくんは聞く耳を持たないと
言う風情だった。
「僕が居ないと、あの人はだめになってしま
うんだ。だから僕は帰らない」
 その言葉を聴いて、理恵は雷に撃たれたよ
うな衝撃を感じた。
 たっくんの口から出た言葉が信じられなか
った。
「どうしちゃったの?たっくん!あの女に脅
されてるのね?」
「帰りましょう」と、理恵が手を取ったが、
「帰らないと言ってるだろう!」と、たっくんは
その手も振り払った。
 理恵は信じられないと云った表情で泣き出
した。
 たっくんは、そんな理恵と信を尻目にその
場を逃げるように去ってしまった。
 信君は「仕方ない。本人がああ言ってるん
では……。さ、帰ろう」と云って、泣いてい
る理恵の肩を優しく包んで、車の方へ促した。

           おわり

たっくんの完全なる飼育(14)

 それだけでも、進展があった。
「まだ、諦めるのは早いわ。まだ、このビル
にいるか、もしくはそう遠くへは行ってない
はずよ。探しましょう」と理容子は云った。
 理恵は「そうね」と頷くと、理容子と一緒
に、更に下の階を探した。
「おかしいわねー。あの女の気配を全く感じ
ないわ」と理容子は云った。1階まで、降り
て来たが、女の気配は感じ無かったようだ。
「ちょっと、外へ出てみましょう」と理容子は
云った。
 二人は外へ出ると、キョロキョロと辺りを
見回した。
 すると、またしても、理容子が女を発見し
た。
「居たわ!こっちよ!」
 そう言うと、理容子は駆け出した。
 理恵も後に続いた。
 女は横断歩道の所で信号待ちをしていた。
 理恵達は、信号待ちをしている女の背後へ
近づいた。
 理恵は女の横顔を間近で見た。
 理容子が言ったように、20代後半と見ら
れる女だった。顔はとびきり美人という程で
もないが、まあまあの顔立ちと云う所か。
 髪はロングでカールヘアー。
 身なりは派手でも無く、地味でもないごく
普通のOL風の格好をしていた。
 理恵はこっそり、ケータイで女の横顔を写
真に撮った。
 理容子はさり気なく、女の背後に立って、
「あら、ごめんなさい」と云って、ちょっと
よろめくように女に接触した。
 女は「いいえ」と云った。
 女に接触した理容子の顔が驚愕の顔に変わ
った。
 理容子は理恵の耳元で小声で云った。
「この女が竹部さんを誘拐して、監禁してい
るわ」
「え?まさか!?本当なの?」
 理恵は咄嗟に言葉が出なかった。まさか、
監禁なんて。しかも、女が男を……。もし、
そうだとすると、これは立派な犯罪だわ。早
く警察に届けなくてはと思ったが、証拠が無
い。
「共犯者はいるの?」と聞いたが、単独犯だ
という返事が返って来た。
 理容子は続けた。「あたしも驚いたわ。接
触した途端に、竹部さんの監禁されている姿
が、脳裏に浮かんだわ。とにかく、この女を
尾行しましょう」と云った。
 二人は女に気づかれないように尾行をする
ことにした。
 女は横断歩道を渡って、バス停でバスを待
っていた。
 理恵たちも同じく、バスを待った。
 やがて、バスが来て、女はバスに乗った。
理恵たちも、後に続いて、バスに乗った。
 理恵たちは、女が座ったシートの少し後ろ
に座って、女を監視した。
 しばらくバスに乗っていると、女が降りる
用意をしだしたので、理恵たちも後を追って、
降りた。
 女はバスを降りると、商店街の方へ歩いて
行った。
 女は八百屋に入った。何か、店主と話して
いるようだ。
 しばらくすると、八百屋から女は出て来た。
 再び、理恵たちは、女に気づかれないよう
に後を追った。
 女はマンションに着くと、中に入って行っ
た。
 マンションは他人が入れない様になってい
るセキュリティマンションだった。
 これ以上、中の様子を確かめる事は出来な
かった。

 仕方が無いので、理恵たちは先ほど来た道
を引き返して、先ほど、女が入って行った商
店街の八百屋へ行った。
 八百屋の看板には、『檻商店』と書いてあ
った。
 八百屋に入ると、先ほどの店主が出て来た。
 八百屋のおやじは、「いらっしゃい。きゅ
うりが安いですよ」と云った。
 理恵はおやじに聞いた。
「あのう?つい先ほど、若い女の人が買い物
をして行ったと思うんですけど。ロングヘアー
の女の人なんですけど……」と云うと、おや
じは「あっ。ようこちゃんの事かい?」と云
った。
「名前は解からないんですけど、ようこさん
と言うんですか?」
 おやじは怪訝そうな顔をして言った。
「あんた達の聞いてるのは、この先のマンシ
ョンに住んでる、ようこちゃんの事じゃ無い
のかい?」と云った。
「あっ。そうそう、ようこさんだった」と、
理恵は咄嗟に誤魔化した。
「で、ようこちゃんに何か用かい?」と聞い
て来たので、もう良いですと言って、店を出
た。
 理恵たちは、たっくんの居場所をとうとう、
突き止めた。謎の女の名前は『ようこ』。 
そして、あのマンションの中には、たっくん
が監禁されているに違い無かった。

たっくんの完全なる飼育(13)

 理恵は焦っていた。理容子から聞いた、た
っくんの状態を考えると、一刻の猶予も許さ
れないのではないだろうか?
 こうしている間にもたっくんの身の上に何
か起こっているかも知れない。
 理恵は居ても立ってもいられなかった。
 理容子から、たっくんの状態を聞いてから、
はや一週間が過ぎようとしていた。
 その間、何の手掛かりも無かった。
 たっくんが失踪してから、1ヶ月近くが過
ぎようとしていた。
 一緒に街中を歩いて、たっくんの痕跡を探
して貰うように、理恵は再び、理容子に頼ん
だ。
 理容子は快く応じてくれた。
 今度の日曜日に、三宮駅の前で、会う約束
をした。

 理恵は約束の時間に三宮駅前に行った。
 少し待っていると、向こうから、歩いてくる
理容子が見えた。
「ごめんなさい。待った?」
 理容子はそう言いながら、こちらに近づい
て来た。
「ううん。あたしも今、着いたところだから。
何処を探せばいいか解からないけど、ちょっ
と、あちらの方へ行ってみましょうか?」
 理恵は理容子と二人で街中を歩き廻った。
 理容子は人ごみの中は苦手らしく、始終、
緊張した面持ちで歩いていた。
「理容子さん。ごめんなさい、休みの日だと
言うのに、こんな事につき合わせてしまって」
 理恵は理容子に対して、申し訳ないと思った。
 理容子は首を横に振った。
「ううん。あたしは理恵さんに協力したいの。
あたしも乗りかかった船だもの。竹部さんが
一日も早く見つかるといいわね」
「理容子さん。ありがとう……」
 理恵は理容子の言葉に胸が熱くなった。

 午前中、あちこちを歩き廻ったが、何の手
掛かりも掴めなかった。
「お腹が空いたわね。ちょっと、そこのレス
トランで食事をしましょうか?」
 理恵は前方に見えるファミレスで理容子と
食事をする事にした。
 食事をしながら、理容子は言った。
「あたし、人ごみの中はすごく苦手なの。人
が多い所は、直接接触しなくても、他人の想
念が流れ込んでくるので、常に緊張して、気
を張っていないといけないの」
「そうなんだ?ごめんなさい。こんな所へ連れ
出して」
「ううん。理恵さんの為だもの」
 理容子は微笑んだ。今日初めての笑顔かも
知れない。本当に申し訳ないと思った。
「まだ、何の手掛かりも掴めないわね。あた
し、家に一人で居ると、たっくんの事を考え
て、気が変になりそうなの。何もしないでい
るよりは、こうして動いていた方が、気が楽
なの」
 二人は食事を終えて、近くのデパートへ入
った。
 何かを買う訳でも無いが、洋服などを見て
いた。
 ふいに、理容子が理恵の袖を引っ張った。
「ね!理恵さん。あの女よ!」
「え!?何?」
 理恵が指さす方を観ると、遠方に女の人が
見えた。遠くて顔は良く見えなかった。
「あの女よ!喫茶店と欄干で見えた女」
 理恵は、こんな所で、謎の女が見付かると
は思っても居なかったので、びっくりした。
「え?本当なの?」
 理恵が指さす女はエレベータに乗ろうとし
て居た。
 理恵達は急いで、女の方を目指して駆け出
した。
 女はエレベータに乗ってしまった。
 理恵達が追いついた頃にはエレベータは閉
まって、階下へ降りて行ってしまった。
 エレベータは理恵達が居る8Fから、6F
で止まった。
 急いで、走って、エレベータの近くの階段
を6Fまで下りた。
 二人とも、はあはあと息を切らしながら、
6Fのエレベータ付近を見渡した。
「ねえ。あの女はいるかしら?」
 理恵はあたりをきょろきょろと見回しなが
ら、理容子に聞いた。
「あの女の気配を感じないわ。見失ったみた
いね」
 理容子は残念そうに言った。
 またしても、手掛かりを失ったように思え
たが、意外にも、謎の女はこの近辺に居ると
いう事が解かった。
 それだけでも、進展があった。

たっくんの完全なる飼育(12)

  第四章 焦燥

 すっかり、竹部もおとなしくなったわね。
 初めの内は、なんとか逃れようと、じたば
たしていたようだけど、最近はすっかり大人
しくなって、安心だわ。
 ようこはそう思いながら、帰宅して、玄関
の鍵を開けた。鍵は特殊なもので、外側から
のみ開くものに変えていた。内側からは鍵が
無いと開かない構造になっていた。
「ただいまー。今日もいい子にしてた?」
 竹部は、ようこが帰ってくると、飼い犬が
主人の帰りを喜ぶように、嬉しそうな顔をし
た。
 犬の様に尻尾が付いていたなら、竹部はし
きりに、尻尾を振っていたに違いない。
 ここ二週間で、驚くほど、従順になった竹
部を見て、ようこは嬉しかった。
「いい子ね。じゃー、御褒美に足縄はもう、
解いてあげましょう。今日から足縄はしない
わ」
 そう言うと、ようこは竹部の足縄を解いた。
 竹部は本当に嬉しそうな顔をした。
「ありがとう、ようこさん。ううう」
 竹部は嬉しさのあまり、涙ぐんでいた。
「まあ?そんなに嬉しいの?じゃー、御褒美
をもっとあげる。おねーさんと一緒にお風呂
に入りましょうね」
「え?本当ですか?一緒に風呂に入っても
いいんですか?」と竹部は嬉しそうな顔をした。
 竹部はすっかり、ようこに飼い慣らされて
しまったようだ。
 ようこは竹部の手錠をはずした。
「あたしが先に入ってるから、後から入って
来ても良いわよ」
 そう言うと、ようこは脱衣所に行った。玄
関の鍵は用心の為、一緒に持って行って、脱
衣所の棚の上の方に隠した。
 先に湯船に入って、待っていると、洗い場
に竹部も入って来た。
 竹部は恥ずかしそうに、前をタオルで隠し
ていた。
「さ、そこに立ってないで、ここへお入んな
さい」
 湯船に一緒に入るように促すと、竹部はお
ずおずと湯船に入ってきた。
 ようこは、自分の裸を見て興奮している竹
部を見るのが面白かった。
「あら?何、タオルで前を隠してるの?そん
なに大きくして。嫌らしいわね」
 ようこは竹部の一物をぎゅっと握った。
「いっ!」竹部は男の急所を急に握られたの
で顔をしかめ、短く声を漏らした。
 そのまま、竹部の硬くなったものを上下に
しごいた。
 竹部は気持ち良さそうに、目を瞑っている。
 竹部のものはますます、熱く、硬くなって
いた。
「さ、出るわよ。あたしの背中を流して」
 竹部の視線を背中に感じながら、ようこは
湯船から出た。
 湯船から出て、椅子に座ると、竹部も後に
続いて、湯船から出た。
 竹部は言われるままに、タオルに石鹸を付
けて、ようこの背中を流した。
 時々、間違った振りをして、ようこのおっ
ぱいの方まで、手が伸びてきた。
 ようこは、すかさず、その手をぴしゃっと
叩いた。
「何してるの!誰がお乳を触って良いって言
った?」
 竹部は子供が叱られた時のように、「ごめ
んなさい」と小さくなって謝った。
 その様子を見て、ますます、竹部を虐めて
やりたくなった。
「反省してる?じゅあ、罰として、あたしの
乳首を10分間舐めなさい」
 竹部は従順に「はい」と返事をして、ようこ
の前に回りこむと、中腰に成って、ようこの
おっぱいを鷲づかみにした。
 竹部の痛いほど怒張した一物が天を突いて
いるのが見えた。
「ちょっと!痛いわね!もう少し優しくする
のよ!」
 ようこに叱られ、益々、竹部は小さくなっ
て、ようこの乳首を舐めた。
 竹部はチュパチュパと音を立てながら、よ
うこの乳首を舐めた。
 ようこは竹部の怒張した一物の先端を触っ
てみた。先端は先走りでヌルヌルしていた。
「たっくん。何?このヌルヌルしたものは?
本当に嫌らしいわね、あなたって」
 ようこは、しきりに乳首を舐める竹部の頭
を見下ろしながら言った。
 全然、罰になっていないけど、気持ち良い
から、ま、いいかと思った。
「さ、もう良いから、出るわよ」
 竹部は名残り惜しそうにしながら、ようこ
の乳首を舐めるのをやめた。
 ようこはお風呂から出ると、バスタオルを
竹部に渡し、「あたしの体を拭きなさい」と
命令した。
 竹部は嫌がる様子も無く、自分は濡れた体
のまま、嬉々として、ようこの濡れた体をバ
スタオルで丹念に拭った。
 特に、ようこの水の滴る、股間の茂みは丹
念に拭った。
 タオルが性器に触れるたびに気持ち良かっ
た。
 あまり、したい放題にさせておくと、図に
乗ると思い、竹部の手を払い退けた。
「もう、良いわ」素っ気無く、そう言うと、
ようこはさっさと、下着とパジャマを身に着
けると、リビングの方へ行った。

たっくんの完全なる飼育(11)

 理容子はそんな理恵を見て、気の毒に思っ
たのか、「ちょっと、外へ出てみましょうか。
何か手掛かりになる物があるかも知れないわ」
と言った。
 理容子は喫茶店を出た。
 理恵、利美と信も後に続いた。
 理容子は歩きながら、話した。
「強烈な記憶を刷り込まれた物体は、遠く離
れていても、その思念を感じることがあるの。
だから、このあたりで、竹部さんの何か手掛
かりになる物が見つかるかも知れないわ」
 歩きながら話していると、理容子の足が急
に止まった。
「向こうの方に竹部さんの思念を感じるわ」
 理恵は、たっくんがこの近くに居るのか?
と思った。
「本当ですか?」
 理恵は理容子の顔を覗き込んで、尋ねた。
 近くには川が流れていた。
「こっちの方よ」
 理容子は橋の方に向かって、早足で歩いて
行った。
 理恵達も理容子の後を追った。
 理容子は橋の欄干の所で立ち止まった。
 手摺に触った。
「ここで竹部さんは川を眺めていたわ」
 理容子は続けた。
「ここで感じるのは竹部さんの悲しみ・自責・
不安・孤独……」
 それを聞いて、理恵ははっとした。
 あたしのせいでたっくんを追い込んでしま
ったと思った。
 不意に熱いものが込み上げてきた。
 涙が自然に出て来た。
「うわーん。たっくん。ごめんなさい」
 信は理恵が泣くのを見て、「そんなに、自
分を責めるなよ」と、優しく慰めた。
 理容子は続けた。
「竹部さんはここで、ひがな一日、川を眺め
ていたわ。それと、先ほど、喫茶店で感じた、
女の人とも、ここで一緒にいたわ」
 理恵は、またもや、謎の女かと思った。
「また、女の人ですか?その人はたっくんと
一緒に居るんですか?」
「ええ。竹部さんは、女の人とここで会って、
それから、喫茶店に行ったみたいね」
「そうですか。他に何か解かりますか?」
 理容子は欄干を触わりながら言った。
「竹部さんは、その女の人と何度か会ってい
ます……。残念ながら、解かるのは此処まで
です」
 理容子は申し訳なさそうに言った。
 理恵は涙をハンカチで拭うと、「ううん」
と首を振って、「ありがとう。すごく参考に
なったわ」と理容子に礼を言った。
 理容子は「あたしで良ければ、いつでも御
協力します。また呼んでください。今日のと
ころはこれで……」と言った。
「うん。ありがとう。またね」と、理恵は別れの
挨拶をすると、理容子は帰っていった。
 利美も用事が在るからと言って、帰った。
 信君と二人になり、謎の女の事を話した。
 二人の意見は、たっくんの失踪は、謎の女
が絡んでいるという事で一致した。
 はたして、その女は何者なのか?
 手繰り寄せた糸は、またしても、ここで、
ぷっつりと切れてしまった。

たっくんの完全なる飼育(10)

 不思議な少女の話はまだ続いた。
「最初に物体には記憶があると言ったけど、
たまに、物体に人間の魂が宿ることもあるの。
たとえば、人形とか。日本人形の髪の毛が伸
びて来たとか、言う話を聞いた事あるかなぁ?
 これなんかは物体が魂を宿す典型的な例な
んだけど。
 人間の物に対する執着が強ければ強いほど、
その物体には人間の記憶が強烈に刷り込まれ
るの。そして、その強烈な記憶は物質を原子
レベルで変質させてしまうの」
 理恵は理容子の話を聞いていて、だんだん、
背筋が寒くなってきた。
 この子は本物だと思った。
 人に接触するだけで、相手の考えが読める
のなら試してみようと思った。
「理容子さん」
 理恵に呼ばれ、理容子は話を中断した。
「はい?」
「あの。人に触れるだけで、相手の考えが読
めるんですよね?」
「はい。ちょっと、相手に触れるだけで、相手
の想念がわたしに流れ込んできます。
 心の準備無しに不用意に相手に触ると、わ
たしの自我が危険に晒されます」
「自我が危険に?」
 自我の危険とは何だろう?理恵は不思議そ
うに聞いた。
「はい。触った相手の自我がわたしの自我を
凌駕した場合、あたしの自我は瞬間的に無く
なることもあります。簡単に言えば、わたし
が、接触した相手に成ってしまうのです」
「じゃー、接触した人はどうなるの?」
「どうにもなりません。普段と何も変わりません。
ただ、わたしの方は相手の自我のコピーを受
けとり、すりかわってしまいます。
 でも、それも、直ぐに元に戻りますが、す
りかわっている間のわたしの記憶はありませ
ん」
「へー。そーなんだ?じゃー、満員電車なん
か、乗れないんじゃない?」
「その点は大丈夫です。電車に乗るときは気
お張っていますから」と理容子は笑った。
「じゃぁさ。わたしに触って、わたしの考え
てる事を言って貰ってもいい?」
「はい。良いですよ」と言って、理容子は右手
で軽く、理恵の肩に触った。
「そうですねぇ。理恵さんは今、失踪した、
たっくんと言う人の事を考えています。そし
て、その人に関わっているかも知れない女の
人のことを考えています。あとは、今朝、朝
食を抜いたので、お腹が空いてきたなぁと思
っています」
 まさに、そのとおりだった。
「すごい……。そのとおりよ……」
 心の中を読み透かされた。理恵は理容子に
対し、得体の知れない不快感を感じた。
 その遣り取りを見ていた、信君は俺にもお
願いしますと言って、理容子に肩を触って貰
った。
「そうですね。信さんは、今……」
「今、何?」理恵はごくっと生唾を飲んで、
先を促した。
「トイレに行きたいと思っています」
 その答えを聞いて、ぷっと吹いてしまった。 
「なんだ、信君、早くトイレに行きなよ。あ
はは」
 信君は「かたじけない」と言って、恥ずか
しそうに、いそいそと、トイレに行った。
 次に、理恵はたっくんの写真を理容子に渡
した。
「その写真の子がたっくんなんですけど。何
か感じますか?」
 理容子は写真を手に取って眺めていたが、
不意に窓際のソファーに移動して、ソファー
を触り始めた。
「ここに、この写真の男の子が座って居たわ」
と理容子はソファーを摩りながら言った。
「え?本当ですか?それは、いつの事か解か
りますか?」
 理恵は急き込んで尋ねた。理容子は続けた。
「そうですねぇ。二~三週間前ぐらいかしら。
一緒に女の人が居るのが見えます。20代後
半ぐらいの女の人です」
 理恵は間違い無いと思った。たっくんはこ
こで、女の人と会っていた。
「マスターの言ってた人だわ。その女の人と
何処へ行ったか解かりますか?」
「うーーん。それはわからないわ。この、ソファー
の記憶から解かるのは此処までね」
 理容子の答えを聞いて、理恵はがっかりした。
 理容子はそんな理恵を見て、気の毒に思っ
たのか、「ちょっと、外へ出てみましょうか。
何か手掛かりになる物があるかも知れないわ」
と言った。

たっくんの完全なる飼育(9)

  第三章 霊感少女

 理恵はなんとしても、理容子に会いたかっ
た。
 会って、その超能力の真偽の程を確かめた
かった。その超能力が本物なら、きっと、た
っくんの行方の手がかりが掴めるはず、と思
った。
 理容子に会えるように、利美に頼み込んだ。
 利美はわかったと言った。会える手はずが
整ったら、連絡すると言った。

 明後日、利美から、連絡があった。
 この間の喫茶店に理容子を連れてくる、と
言って電話は切れた。
 理恵は信に連絡し、喫茶店に向かった。
 喫茶店には既に、利美と理容子らしき女の
子が来ていた。
「おまたせー」
 理恵は喫茶店に入ると、利美と、その女の
子を見た。
 女の子は別段、変わった様子は無く、どこ
にでもいる普通の女子大生という感じだった。
 利美が紹介した。
「この子が理容子ちゃんです」
 理容子は軽く会釈をすると、「はじめまし
て」と言った。
「こんにちは。あたしは、理恵です」
 お互いに自己紹介をしていると、遅れて、
信君もやって来た。
「ごめん、ごめん。遅くなって」
 信は慌てて来たようで、息が乱れていた。
 理容子さんに信君を紹介して、早速、本題
に入った。
「理容子さん、ごめんなさい。初対面なのに
呼び出すような事をして。利美から聞いてい
ると思いますけど、あたし達の友達が失踪し
て、行方がわからなくなっているの。そこで、
理容子さんの力を借りられないかなと思って
……」
「はい。だいたいのお話は利美ちゃん
から聞きました。あたしで、お役に立つなら、
ご協力します」
 その返事を聞いて、理恵は安心した。
「本当ですか?ありがとうございます」
 理恵は礼を言った。
 この子が本当に超能力の持ち主なのかどう
か、確かめなくてはと思った。
「あのう?利美から、聞いたんですけど、理
容子さんは、本当に未来が見えるんですか?」
 理恵からの突然の質問に理容子は困ったよ
うな顔をして言った。
「え?あたしは未来を見ることは出来ません」
 理恵は理容子の以外な返答を聞いた。
「理容子さんは人の考えていることが判るっ
て聞いたんですけど……」
「そんな……。正しくは、何て言えばいいのか
な?物に触ると、その物体が持っている記憶
を読み取ることが出来る、と言えばいいかしら?
 全ての物体には記憶があるのよ。丁度、コ
ンピュータのメモリーみたいにね。あたしは、
その物体の記憶を触るだけで、直接読み取る
ことが出来るの。
 だから、人に触れると、その人の考えてい
る事がわかるの。
 あとは、人の想念の凝り固まった場所とか
に行くと、その想念に囚われてしまう事もあ
るわ。
 例えば、不慮の交通事故で亡くなった人が
自縛霊となっている場所にさしかかると、急
に車のハンドルが動かなくなって、危うく事
故を起こしそうになったりとか……。
 だから、超能力と言うよりも、霊感力だと
思うの。
 あたしは、この能力のおかげで、今まで、
どんなに嫌な思いをして来たことか。
 一時は自殺も考えたわ……」
 理恵は理容子さんの深い悲しみの一端を垣
間見たような気がした。
 理容子は淡々と話を続けた。
「だから、あたしの場合は未来はわからない
わ。あたしの思うに予知能力というのは、当
たらないものだと思うの。
 これも、木から教えて貰った知識なんだけ
ど……」
「木?あの?植物の木ですか?」
 理恵は聞き間違いかと思って、不思議そう
に聞いた。
 理容子は微笑みながら言った。
「そ、植物の木よ。キャンパスに300年前
の銀杏の木があるんですけど、あたし、時々、
その銀杏の木に触って、お話するの」
 銀杏と話しをする少女か……。なんとも、
不思議な少女だと思った。
 理容子は話を続けた。
「その、銀杏の木が言うには、未来は現在の
延長上にあるんだけど、幾つも枝分かれして
いるの。その枝分かれした先が未来なの。だ
から、いくつもの未来が無数にあるの。その
未来は、丁度、RPGゲームのようにその時
の選択によって、時々刻々と変わっていくの。
 だから、未来をある程度、予測は出来ても
見る事は不可能なんだって。銀杏の木さんは
言ってたわ」
 聞けば聞く程、不思議だと思った。
「また、銀杏の木さんはこうも、言ってたわ。
だから、タイムマシンという物は無いんだっ
て。過去に戻る事は出来ても、その過去から、
今来た、未来へ戻ることは不可能だって。だ
って、未来は時事刻々と変わっているから、
過去に着いた時点で未来は、もう変わってし
まっているの。だから、もと来た未来へは戻
れない。結局、タイムトラベラーは時間の狭
間を彷徨うことになる訳。だから、タイムマ
シンは意味が無いそうよ」
 不思議な少女の話はまだ続いた。

たっくんの完全なる飼育(8)

 コーヒーを飲みながら、信君と、これから
どうするか話しあった。
 信君と話していると、先ほどのマスターが
何か言いたそうな顔つきで、あたし達のテー
ブルへやって来た。
「そういえば、この前、丁度、二週間ほど前
かなぁ。
 そ、丁度、お客さん達ぐらいの男の子と、
20代後半ぐらいの女の人が一緒に、店に来
ましてね。
 この店もあまり、お客さんが来ないもんで
……。わたしも暇してたんで、妙に気になり
ましてね。それで、憶えてたんですがね……」
 理恵はバッグの中から、たっくんの写真を
取り出して、マスターに見せた。
「この、男の子なんですけど……」
 マスターは写真を受け取って、しげしげと
見た。
「うーん?この男の子だったようにも思うけ
ど?はっきりは憶えてないなぁ」
 写真を理恵に返しながら、残念そうに言った。
「そうですか」
 マスターの曖昧な返事を聞いて、理恵は少
しがっかりした。
 マスターの話の中の男の子がたっくんだと
すると、女の人と一緒に居たと言う事か?
 いったい、その女は誰なんだろう?
 理恵には心当たりが無かった。
「その、女の人って誰なんだろうな?」と、
信君が言った。
「信君も、その女の人に心当たりは無いのね?
誰なんだろう?」
 あたし達は、これ以上、マスターに聞いて
も何も得るものは無いだろうと思い、礼を言っ
って、再び信君と相談を続けた。
 探偵社に頼んでみようとか、自分達で、こ
のあたりの聞き込み調査をしようとか……。 
 信君と話していると、ふと、理恵の頭の中に、
ある人物のことが浮かんだ。
 それは、理恵の友達で、姫路女子短大に通
っている、利美という子から聞いた話だった。
 いつものように、喫茶店に、仲良しの仲間
が集まって、話している時に、その話題は出
た。
 利美の通っている短大には、不思議な少女
がいると言う話だった。
 利美から聞く所に依ると、その少女が、物
に触れると、その物体が持つ記憶とでもいう
べきものが頭の中に流れ込んで来ると言うの
だ。そもそも、物体に記憶があるというのも、
おかしな話だと思った。
 例えば、その物体が個人が愛用している物
であったり、着物であったりと愛着の深い物
であればある程、その物体は強烈に所有者の
記憶を所持しているというのだ。
 海外では、行方不明者の捜索に超能力者を
用いて、実績を上げているという話を、この
前、テレビのバラエティ番組か何かで見たの
を思いだした。
 この事を信君に話した。藁をも縋りたい思
いだったので、早速、利美に電話して、その
女の子に会ってみようと言う事になった。

「もしもし、利美?うん。あたし。あのね、
この前の話で、利美の学校に不思議な女の子
が居るっていう話が出たじゃない?うん。
それでね、その子に会いたいんだけど、会え
るかなぁ?実は、友達が行方不明で……。
え?ここに来るって?うん、判った」
 理恵はケータイを切った。
 信君に、利美が今すぐここへ来てくれるこ
とを伝えた。
 30分ほどして、利美がやって来た。
「こんにちわー」
 利美は挨拶すると、テーブルに着いた。
 理恵は信君のことを利美に紹介すると、早
速、本題に入った。
「それでね。その不思議な少女なんだけど、
会ってくれるかなぁ?」
 利美は眉をしかめて、気むづかしそうに言
った。
「その子なんだけど、ちょっと変人なのよ。
あたしは話したこと無いから判らないんだけ
ど、みんなは気味悪がって、近づかないの」
「名前はなんて、言うの?」
「理容子っていうんだけど、友達から聞いた
話だと、その子、相手の心の中が読めるっ
ていうの?こっちの考えている事を、話して
もいないのに、先走って話してみたり……。
 心の中を見透かされているみたいで……。
 それで、気持ち悪がって、みんな、その子
に近づかないの」
 利美の話を聞いて、理恵はますます、その
子に会いたくなった。
 会って、たっくんの事を頼んでみようと思
った。

たっくんの完全なる飼育(7)

 とりあえず、今日のところは帰ることにし
て、二人とも、帰路についた。
 翌朝、警察のほうから連絡があって、信君
と、署の方へ出向いた。
 警察の方から、家族の方へも連絡があった
みたいで、たっくんのお母さんらしき人も来
ていた。
 たっくんのお母さんらしき人は、あたし達
を見て、直ぐ友達とわかったのか、こちらの
方へ近づいてきた。
「あのう?皆さんは、内の息子のお友達です
か?」
「はい。そうです。同じサークル仲間なんです」
と、あたしは答えた。
「そうですか。このたびは内の息子がご迷惑
をかけて……」
 そう言うと、たっくんのお母さんは、嗚咽を
漏らして、泣き出した。
「あ。ごめんなさいね。わたしは、やち子と
言います。息子はめったに実家に帰って来な
いもんですから。まさかこんな事になってる
とは思いませんでした……」
 そう言うと、また泣き出した。
 そこへ、たっくんのお父さんらしき人もや
って来た。
「あ。朗愚のお友達の皆さんですか。本当に、
うちの馬鹿息子がご迷惑をかけて……」
 たっくんのお父さんは少し怒っているよう
に見えた。
 信君は片手を振りながら、「いいえ。迷惑
だなんて……。俺たちに出来ることは何でも
します」と言った。
 たっくんの両親は警察へ家出人捜索願を出
した。
 家出人にも種類があり、「一般家出人」と
「特異家出人」が、あるそうだ。
「一般家出人」は事件性の無いもの、「特異
家出人」は何か事件に巻き込まれた可能性の
あるものだそうで、たっくんの場合は、事件
性は無いものと見做され、一般家出人扱いを
された。
 一般家出人だと、警察の捜索はしないと言
われた。
 何か判ったら、連絡しますからと、警察の
人に言われ、たっくんの両親はがっくりと肩
を落として帰って行った。
 あたし達も仕方なく、帰路についた。
 
    ・・・・

 警察へ行って捜索願いを出してから、早、
一週間が過ぎようとしていた。
 あれから、警察の方からは何の連絡も無か
った。
 信君とあたしは、その後、何の手がかりも
掴めないまま、無為の日を過ごしていた。
 信君を誘って、再度、たっくんのアパート
へ行ってみた。
『ひょっとして、たっくんは、帰っているか
も』と、凡そ考えられない現実離れした期待
を胸にして……。
 ピンポーン。一応、ドアのチャイムを鳴ら
してみた。
 やはり、たっくんは帰っているはずも無か
った。
 たっくんのアパートの近くに喫茶店があっ
たので、信君と入った。
 入り口の看板には、『喫茶 観留』と書い
てあった。
 何だか、薄暗い店内だ。他に客は見あたら
なかった。
 あたし達は、入り口の近くのテーブルの椅
子に座った。
「いらっしゃいませ」
 店の奥から、およそ40代くらいのマスター
と思しき人がやって来た。
 男は愛想の無い顔で、「何に致しましょう?」
と、ぼそっと言った。
 マスターからメニューを受け取って見ると、
メニューの種類がとても少なかった。
 信君とあたしは、取り合えず、ホットコー
ヒーを頼んだ。
 間もなく、男はホットコーヒーを二つ持っ
て来た。
 ここのマスターなら、何かたっくんの事を
知っているかも知れないと思い、だめ元で聴
いてみた。
「あのう?この近くに住んでいる、若い男の
子で竹部朗愚っていう子が居るんですけど、
知ってますか?」
 男は、しばらく考えていたが、「ん~。ち
ょっと判らないなぁ」と、言った。
 予想していた答えが返ってきた。
 コーヒーを飲みながら、信君と、これから
どうするか話しあった。

たっくんの完全なる飼育(6)

  第二章 失踪

 たっくんと連絡が取れない。大学へは、こ
この所来てないようだし、ケータイに電話し
ても出ない。このあいだ、たっくんとは、ほ
んの些細な事で喧嘩をして、ずっと電話をし
ていない。
 あたしのほうから、謝るのも悔しいし、ず
っと、放っておいたんだけど、この一週間ほ
ど、大学へも来てないし。
 どうしたんだろう?
 たっくんの家へ行ってみようかしら?
 と、言っても、たっくんの家は知らないし
……。
 そうだ。信君に一緒に行って貰おう。
 彼なら、たっくんの住んでいる所を知って
いるに違いない。
 来流 信、彼はたっくんの親友で、同じサ
イクリング同好会の仲間で、たっくんの親友
だ。あたしも、その同好会に入っている。
 たっくんとは、その同好会で知り合った。
 あたしは、サイクリング同好会に顔を出し
た。
 信君は自転車の手入れをしていた。
「信君。こんにちは」
 信君は手入れを止めて、こっちを向いた。
「やぁ。理恵ちゃん。おひさ。どうしたんだ
い、最近、顔を出さないで。そうか、竹部と
のデートが忙しくて、それどころじゃないん
だな?たまには、こっちへも来なくちゃだめ
だよ」
 信君は笑いながら言った。
 信君なら、たっくんの事、何か知ってるか
も知れない。
「ねぇ、信君」
「ん。なんだい?」
「たっくんが、最近、大学へ来ないんだけど、
電話へも出ないの。どうしちゃったのかな?
信君、何か知らない?」
「え?理恵ちゃんの電話にも出ない?
 俺も、あいつに電話したんだけど、ぜんぜ
ん出ないんだ」
 信君の電話にも出ないなんて、おかしいと
思った。
「あのう。それはいつからなんですか?」
「一昨日かな。何度も電話したんだけど、出
ないんだ」
「どうしちゃったのかな?たっくん」
「そうか、理恵ちゃんの電話にも出ない
なんて、こりゃ、ちと、おかしいな」
「あたし、たっくんと喧嘩して、何日も口をきい
てなかったの。どれで、電話にも出てくれない
のかと、思ってたんだけど。大学にも出てこ
なくなっちゃって……」
 さっきまで、笑っていた信君は真面目な顔
になって言った。
「そうか、あいつ、どうしたんだろうな?よ
し、これから直ぐ、あいつのアパートに行っ
てみよう。理恵ちゃん、これから、大丈夫?」
 あたしはこっくりと頷くと、信君と一緒に、
たっくんのアパートへ向かった。
 たっくんのアパートは姫路駅から、徒歩2
0分程の所にあるらしい。
 姫路駅の改札を出て、信君と歩いていると、
橋が見えて来た。
 たっくんのアパートはこの橋の近くにある
らしい。
 橋を渡って、ちょっと歩くと、商店街にな
った。
 街中をてくてくと歩いていると、アパート
が見えて来た。
「ここだよ。竹部のアパートは」
 そこには、二階建てのどこにでも見かける
ようなアパートがあった。
 信君がアパートの階段を昇っていったので、
あたしも後に続いた。
 たっくんのアパートの扉の前のポストには、
新聞が何日分か、無造作に突っ込まれていた。
 入りきらない分は扉の前に置かれていた。
「ピンポーン」信君はチャイムを鳴らした。
 たっくんの出てくる様子はない。再度、鳴ら
してみたが、やはり出てこない。
 中の様子は伺いしれないけど、人の居る気
配がまるで無い。
「理恵ちゃん。これは、おかしいぞ」とあた
しに向かって言った。
 あたしは、何がなんだか、分からなくなっ
た。半べそをかきながら、信君に言った。
「どうしよう?信君。あたしのせいで、たっ
くんが自殺でもしていたら?」
 信君は真剣な表情で言った。
「おいおい、縁起でもない事、言うなよ。と
りあえず、不動産屋さんに連絡してみよう」
 信君はアパートの立看板にある、電話番号
を見て、ケータイで電話した。
「はい。そうなんです……。はい……。わか
りました、お待ちしてます」
 信君はケータイを切ると、「すぐ、不動産
屋の人がこっちへ来てくれるって。ちょっと、
ここで待っていよう」と言った。
 まもなく、不動産屋の車が来た。中から、
不動産屋の社員が降りてきた。
「お待たせしました。おろおろ不動産の裸婦
羅です。竹部様の203号室ですね」
 そう言うと、おろおろ不動産の社員は二階
への階段を昇って行った。
 あたし達も後に続いた。
 ガチャッ
 たっくんの部屋の扉が開いて、社員は中に
入って行った。
「ごめんください?」
 部屋の中は空だった。
 恐れていた、最悪の事態は回避できたけど、
たっくんは何処へ行ってしまったのだろう?
 あたしは信君に言った。
「どうしよう?たっくん、いない……。まさ
か、自殺?」涙がポロポロと頬を伝わった。
「おいおい。とりあえず、警察へ連絡してみ
よう」
 不動産屋の社員も困った顔をしていた。
 とりあえず、礼を言って、帰ってもらった。
 しばらくすると、今度は警察のパトカーが
やってきた。
 中から、警察官二名が降りて来た。
「ここですか。竹部さんのアパートは?」
 信君が経緯を説明した。警察官の質問に答
えていると、周りは薄暗くなって来た。
 とりあえず、今日のところは帰ることにし
て、二人とも、帰路についた。

たっくんの完全なる飼育(5)

 竹部はがくがくと頭を縦に振って、頷いた。
「そう。いい子ね。じゃー、猿轡と縄を解い
であげるわ」
 竹部の猿轡と足の縄を解いだ。
 竹部は猿轡を解かれるなり、言った。
「いったい、どういうつもりなんだ?僕に何
か恨みでもあるのか?会ってから、何日も経
ってないし、僕は君に恨まれるよう事はして
ないぞ」
 あたしは、可笑しそうに笑って言った。
「あら、あたしは、あなたに恨みなんか何も
無いわ。ただ、あなたを飼いたくなっただけ」
 竹部は信じられないという顔をした。
「君はどうかしてるぞ。一度、精神科の医者
に診てもらったら、どうだ?」
「ほほほ。あたしは至って正常よ。そんな、
必要は無いわ。
 それより、朝食の用意が出来たから、ご飯を
食べましょうよ」
 竹部は唖然として、あたしを見た。
 そして、憮然とした表情で言った。
「手錠をかけられたままじゃ、食べられない
じゃないか」
「あら、それもそうね。じゃー、あたしが、食べ
さしてあげる」
「こんな格好で食べられるか!」
「あら、素直じゃないわねー」
 あたしは、また、スタンガンを手に取った。
「や、止めてくれ。わかった。わかったから、
それは止めてくれ」
「あら?急に素直になったわね。じゃー、
こっちに来て、食卓の椅子に座ってね」
 竹部に椅子を勧めて、あたしも食卓に着い
た。
 竹部の口の前にスプーンで掬った、スープ
を持っていった。
「はい、あーんして」
 竹部は口を開くとスープをごくんと飲んだ。
 次に、パンをちぎって、口の前に持って行
った。
「はい、あーん」
 開いた口の中へパンを入れた。
「もう、良いよ。食べたくない」と、竹部は
言った。
「もう、食べないの?しょうが無いわね。じ
ゃ、あたしはお仕事に行かなくちゃいけない
から、帰ってくるまで、おとなしくしてるの
よ。それから、足の縄と猿轡は、またさせて
貰うわよ」
 竹部は冗談じゃないと言ったが、スタンガ
ンをバチバチとかざしたら、おとなしくなっ
た。
「今のうちにトイレに行っておいたほうがい
いかもね」
 スタンガンはいつでも使える状態にして、
手錠をはづしてあげた。
 竹部がトイレに入っている間、ドアの所で
待った。
 トイレから出てきた竹部を再び、拘束した。
「トイレに行きたくなったら、これで、済ま
してね。なるべく、早く帰ってくるから」
 竹部が横たわっている傍に、携帯用のトイ
レを置いた。
「手錠をしているけど、そのくらい、使える
でしょ。それじゃーね。いい子にしてるのよ」
そう言うと、玄関に鍵を掛けて、最寄の駅に
向かった。
 仕事をしている間も、竹部の事が気になっ
て、仕事が手に付かなかった。
 終業のチャイムが鳴るのが、待ち遠しかっ
た。
 仕事が終わると、急いで帰り支度をして、
帰路についた。
 駅の改札口を出ると、いつも帰宅途中に寄
っている『檻商店』という八百屋に入った。
「ごめんくださーい」
 店の奥から八百屋のおやじが出て来た。
 おやじは、にこにこして言った。
「お、ようこちゃん。今日はいつもより、早
いね」「はい、おじさん。仕事が早く終わっ
たの。今日は何にしようかな?そうだ、寒く
なってきたから、鍋ものにしようっと」
 鍋ものの食材を仕入れた。
「ようこちゃん。一人で鍋かい。おじさんが
一緒に食べてあげようか?ははは」と、おや
じは冗談を言った。
「やだー。おじさんじゃダメよ。もっと、イ
ケメンじゃ、なくちゃ」
「お、言うねー。こりゃ、参った。ははは。
よし、きゅうり一本おまけだ!」
「わー。ありがとう」
 奥から、おかみさんが出て来た。
 いつも、お世話になっている八百屋のおか
みさんで、栗さんという。
「あら、ようこちゃん。いらっしゃい。この
人ったら、若い子を見ると、すぐ、鼻の下を
伸ばして」
 おかみさんは隣の亭主のわき腹を肘で軽く
突いた。

 檻商店を後にして、近くのスーパーで男物
の下着を買った。
 男物の下着をレジに出すとき、ちょっと恥
かしかったけど、夫の下着を買いに来た妻と
いうシチュエーションを装った。
 買い物を済ませ、自宅の玄関のドアを開け、
家の中に入ると、朝、出るときの状態で竹部
は横たわっていた。
「ただいま。いい子にしてた?」
「……」
 竹部は何も言わなかった。
 携帯トイレの始末をして、夕食の支度にか
かった。
「今日は、お鍋よ。食べるとき、猿轡だけ、
はづしてあげるわ」
 手錠をして、足に縄を巻いた状態で、椅子
へ座らせた。
 竹部はずっと、食べるものを食べてないの
で、口に食物を運んであげると、ガツガツと
食べた。

 食事を終えて、再び猿轡をした。
 しばらくして、お風呂の用意をした。
「お風呂に入らなくちゃね。あたし、先に入
るから。あなたは、後で入れてあげる」
 竹部はもぐもぐ言ったが、何を言っている
のか、解らなかった。
「あー。いい湯だった」パジャマにバスロー
ブを羽織って、髪を乾かした。
「さ。あなたもお風呂、入りましょうね」
 手錠はそのままに、足の縄を解いて、服を
脱がせた。
 服を脱がせる時、少し抵抗したが、頬をパ
シッと叩いたら、おとなしくなった。
 上着を脱がせる時、手錠が邪魔で脱がせら
れなかったので、一旦はづして、服を脱がせ
また手錠を掛けた。
 竹部は一糸まとわぬ、すっぽんぽんになっ
て、恥かしそうにしていた。
 男の人のあそこを見るのは、初めてじゃな
いけど。なんだか、あたしも恥かしいので、
出来るだけ見ないようにしてあげた。
 あたしも、着ているものを脱いで、ブラと
パンティーだけになった。
 竹部は興奮しているのか、あたしの半裸を
見て、手錠がかかっている両手で前を隠した。
 かまわずに竹部を湯船に入れた。
「さ、出て」
 竹部を湯船から出すと、スポンジにボディ
シャンプーを付け、体を洗ってあげた。
 竹部の下半身を見ると、びんびんに反応し
ていた。
 天を突く、いち物も丁寧に洗ってあげた。
 竹部は猿轡の口から、声にならない、くぐ
もった声を出していた。
 竹部のいち物をしごくように洗っていると、
あたしも、だんだん、変な気持ちになって来
た。
 ブラをはづして、胸にシャンプーを塗りつ
け、竹部の背中をぬるぬると洗った。
 とても、気持ち良かった。
 しばらく、竹部の背中をお乳で往復してい
たけど、飽きたので終わりにした。
「はい。おしまい」そう言うと、シャンプー
をお湯で、ザーッと洗い流し、竹部を再び湯
船に入れた。

たっくんの完全なる飼育(4)

 睡眠薬が良く効くように、ワインも用意し
た。

「はーい。お待たせー」
 料理をテーブルへ運んで、竹部を呼んだ。
「うわー。こんなに……。おいしそうだ」
 竹部はテーブルの椅子に座ると、運ばれて
来た、料理を見て、嬉しそうに言った。
「こんなに、およばれして、本当にいいんで
すか?」
「いいの。いいの。さ、冷めない内に、その
シチューも食べて」
 睡眠薬入りのシチューを竹部に勧めた。
 竹部は、シチューをスプーンですくって、
口へ運んだ。
 あたしは、竹部がシチューを飲むのを固唾
を飲んで、見守った。
「おいしくないでしょ?あたし、料理、下手
だから」
「そんなことないよ。おいしいよ」
「嬉しい。ささ、ワインもどうぞ」
 ワイングラスにワインを注いで、竹部に渡
した。
 竹部はワインを受け取った。
「良いんですか?お酒まで。ようこさんは飲
まないんですか?」
「あたしはいいの。あたしが飲んじゃったら、
君を家に帰せないでしょ」
 竹部は感激したように言った。
「ええ?帰りも車で、家まで送って貰えるん
ですか?」
 あたしは笑いながら「ええ。そうよ」と言
った。
 心の中では『あなたは、もう自分の家に帰
る事は無いのよ。永久にね……』と言いなが
ら。
「さ、もっと飲んで」
 ワインを2杯、3杯と、竹部に勧めた。
 竹部の目がとろーんとしてきた。
「ふぁー。僕、酔ったのかな?なんだか、急
に眠くなってきちゃった」
「あらあら、困ったわね。こんな所で寝たら、
風邪引くわよ。
ちょっと、こっちのソファーで休んだら?」
 あたしが、そう言うと、竹部はソファーへ
行き、そのまま、寝入ってしまった。
 睡眠薬が効いたようだ。
 竹部の腕を取って、用意しておいた手錠を
かけた。そして、両足を麻縄で縛った。
 手錠と足縄をかけられて、寝ている竹部に
毛布をかけてあげた。
 すやすやと寝ている竹部をしみじみと覗い
た。
 これで、あたしのペットが、漸く手に入
ったと思った。
 成功裡に事を運んだ疲れが、どっと出たの
か、あたしも急に眠くなった。
 テーブルの上の片付けはしないで、そのま
まベッドへ行って眠った。

 翌朝、目が覚めて、ソファーを視ると、竹
部はまだ寝ていた。
『今日から、ご飯も二人分、作らなくちゃ』
と思いながら、昨日のままの状態のテーブル
を片付け、朝食の用意をした。
 朝食の支度も済んだので、竹部を起こしに
かかった。
「ねー。起きて。朝よ。起きて」
 竹部はなかなか、起きない。
 ぺちぺちと、頬を叩いてみた。
「うーーん」
 やっと、起きたようだ。
「あれ?どうしたんだ?」
 竹部は目が覚めたが、自分が置かれている
状況をよく理解していないようだ。
「あれ?何で手錠なんか?あれ?足が動かな
いぞ?」
「ふふふ。おはよう」
 あたしは、含み笑いをして、竹部を覗き込
んだ。
「あっ。ようこさん、ちょっと。これ何です?
悪い冗談は止めてくださいよ」
 竹部は苦笑いをして言った。
「あら?冗談なんかじゃ、無くってよ」
 あたしは、笑いながら言った。
「あなたは今日から、あたしのペットよ」
 竹部の表情から、笑いが消えた。
「悪い冗談も程ほどにしろよ!早くこの足の
縄と手錠をはずせ!」と、大きな声で怒鳴っ
た。
「あなた、状況がわかって無いようね。そん
な大きな声を出して……。悪い子にはこうし
くちゃね」
 竹部の口をこじ開け、ハンカチをねじ込ん
で、タオルで猿轡をしてあげた。
 これで、静かになったが、これでは、朝食
が食べられないなと思った。
 通販で買った、スタンガンを用意して、竹
部の顔に近づけ、顔の前でバチバチとやって
見せた。
「これ、何だか、解る?スタンガンよ。言う
ことを効かない、悪い子はお仕置きをします」
そう言うと、威力を弱めて、腕にバチバチと
やった。
「ふーーーっ!」
 竹部は驚きと苦痛の形相で喚いたが、猿轡
のおかげで、大きな声は出なかった。
「わかった?おとなしくしてれば、猿轡と足
の縄を解いてあげるわ」
 竹部はがくがくと頭を縦に振って、頷いた。
 

たっくんの完全なる飼育(3)

 今日は、これから用事が在るからと、一旦
別れた。

 翌日、あたしは薬局へ行って、睡眠薬を買
った。
 家に帰って、買ってきた睡眠薬の錠剤を全
て、ミキサーの中へ入れて、ガーッと回し、
粉状にした。
 粉にした睡眠薬を元の錠剤の入っていた小
瓶へ戻し、バッグへしまった。
 前に付き合っていた彼とラブホテルへ行っ
た時に、冗談で買った、おもちゃの手錠を押
入れの奥から引っぱりだした。
 引越しの時に使った、麻縄も用意した。
 準備は整った。
 あたしは、ケータイで竹部に電話した。
 トゥルルル。
「はい。竹部です」「あ。たっくん?あたし

ようこ。今、どうしてるの?」「え?家にい
ますよ。ようこさんは?」「あたしも、今、
自宅なんだけど、これから、会えない?」
「あ、良いですよ。何処で会いますか?」
「じゃー、この間の喫茶店はどう?」「いい
ですよ。分かりました。じゃー、30分後に

「うん。わかったわ。じゃーね」
 あたしは、電話を切ると、車で、喫茶店へ
向かった。

 喫茶店に着くと、先に竹部は来ていた。
「お待たせー」
 あたしは席に就くと、大学では何をやって
いるのかとか、彼女のことや、友達のことを
聞いた。
 しばらく、話していたが、竹部を自宅へ誘
う必要があった。頃合を見計らって言った。
「ねぇ、たっくん。あたしん家へ来ない?お
いしい、手作りのお夕飯、ご馳走してあげる
わよ」
 竹部は満面の笑顔で、「ええー?良いんで
すか?」と、言った。
 あたしは席を立った。
「うん、決まりね。じゃー、行こうか?」
 
 喫茶店を出て、竹部を車の助手席に乗せ、
自宅へ向かった。
 まだ、昼の三時頃だというのに、外は鈍よ
りと曇っていて、既に夕方のように薄暗かっ
た。
 これから竹部に起こる不幸な出来事を、暗
示しているような天気だった。

 車は家に着いた。竹部を降ろし、玄関の扉
の鍵を開けて、中に入った。
「ささ、入って」
 竹部を家の名へ招き入れた。
 竹部は部屋に入り、きょろきょろと周りを
見ていた。
「へー、ようこさんの部屋って、以外とシン
プルですね」
 あたしの部屋は世間一般の女の子の部屋と
比べると凄くシンプルかもしれない。
 部屋の中の家具も少ないし、お花とか、ぬ
いぐるみとかの生活に関係しない物は、一切
置いていない。
「女の子の部屋じゃ無いみたいでしょ?あま
りに、そっけない部屋で……」
 竹部はぶるんぶるんと、首を横に振りなが
ら、「いいえ。そんなこと無いですよ」と、
言った。
 あたしは性格が捻くれているので、きっと

お世辞だと思った。
「何も無いけど、これでも食べて、テレビで
も見ていて」
 竹部にポップコーンを渡すと、台所に立っ
て夕食の支度をした。
 
 クリームシチューを作った。テレビを見て
いる竹部に気づかれないように、用意してい
た睡眠薬の小瓶をバッグから、こっそりと取
り出した。
 クリームシチューを皿に盛り、少量の睡眠
薬を混ぜた。
 睡眠薬が良く効くように、ワインも用意し
た。

たっくんの完全なる飼育(2)

 そう言うと、男の子は、また、視線を川に
戻した。
 あっさり、無視されたので、あたしは少し
カチンときて、この子を虐めたくなった。
「あのさー、君。昨日も一昨日も、ここに来
て、川を見てるでしょう?何が楽しい訳?」
 男の子は煩わしそうに、こちらを見た。
「別にいいだろう。人が何しようと。何だよ
君は」
 男の子は少し、怒ったように言った。
 そんな男の子を見て、あたしはさらに、虐
めたくなった。
「あのねー。あんたが、今にも川に飛び込み
そうに見えたから、心配して声を掛けてあげ
たんじゃない。人の親切もわからないようじ
ゃ、ダメね」と、思ってもいないことを口に
した。
 男の子は、はっとしたような顔になった。 
頭を掻きながら、照れたように言った。
「ごめん。人の親切も分からない……。僕っ
て本当にダメな奴だ」
 あら?以外と素直ね。ここで、自己紹介で
もしておこうかしら。
「そんな……。あたし、ようこ。君は?」
「僕は、竹部 朗愚。三宮大学の二年生です」
「そう。君、何か訳がありそうね。ここで会
ったのも何かの縁ね。良かったら、お姉さん
が相談に乗ってあげようか?」
 竹部は、「はぁ」と小さく頷いた。
「そうねぇ。すぐそこに喫茶店があるから、
そこで話さない?」
 あたしは、竹部を連れて、近くの喫茶店に
入った。
 喫茶店の中は薄暗く、他に客はいないよう
だった。
 あたしは竹部に椅子を勧め、テーブルに向
かい合って座った。
「君さぁ。本当に、今にも身を投げ出しそう
に見えたよ。お姉さんに話してみなさい。気
が楽になるかもよ?」あたしは、出来るだけ
明るく言った。
 竹部はぼそぼそと話し出した。
「最近、彼女と巧くいってなくて。ついこの
間も些細な事で喧嘩をして、それから、ずっ
と、彼女が口をきいてくれなくて。僕は彼女
の事が、分からなくなってきたんだ」
 なんだ、恋愛の悩みかと思ったが、一応、
聞いてあげることにした。
「それで、君は彼女の事をどう思っているの?」
「僕は、彼女の事が好きです。こんな事で終
わりにしたくありません。どうしたら、良い
のか、分からなくなって。それで……」
 よし、巧いことのってきた。
「ははーん。そういう事か。よし、わかった
わ。お姉さんが、君の為に一肌脱いであげよ
うか。後で電話するから、君の携帯教えて」
 竹部の携帯の電話番号とメアドを教わって、
今日は、これから用事が在るからと、一旦別
れた。

たっくんの完全なる飼育(1)


 『たっくんの完全なる飼育』

         ようこ

 この物語はわたくしの懺悔の記録です。
 ここに登場する、たっくんの人生の半分を
奪ってしまったのですから……。

    ……

 この物語に登場する人物及び団体は架空の
ものです。実在の人物および団体とは一切関
係ありません。

   登場人物

 たっくん ━━ 飄々とした、何処にでも
いそうな、これといった特徴の無い、普通の
青年。

 別区 檻 ━━ 檻商店の八百屋のおやじ。
 別区 栗 ━━ 八百屋のおかみ。

 苦俺 釜美 ━━ 近所のおばさん。

 来流 信 ━━ たっくんの友達。

 序衿 理恵 ━━ たっくんの彼女。

 ようこ ━━ たっくんの人生を奪った女。

  第一章 標的

 繰り返される、つまらない日常。
 朝、起きて、仕事をして、家に帰り、ご飯
を食べ、お風呂に入り、寝る。
 家と仕事場の往復の毎日。
 あたしは、こんな生活に飽きあきしていた。
 こう言うと、男にもてない、ドブスの女に
思うかも知れない。
 自分で言うのも何だけど、街で何度か軟派
されたこともある。
 これでも、一年前は付き合っていた彼氏が
いた。
 その男とは結局、別れちゃったけど。
 理由?聞きたい?
 理由は簡単、その男がひどいマザコンだっ
たから。
 お互いに付き合い始めて一年位の時に結婚
しようとなったんだけど、彼のお母さんの反
対にあって、「君とは結婚できない」だって。
 そんな男は、こっちの方が願い下げだ。さ
っさと別れた。
 傷心のあたしは、男には何の期待も持てな
くなっていた。
 世間の男を見ても、何の感慨も無かった。
 そんな、ある日、橋の欄干にもたれ掛かっ
て、ぼーっと川を見ている青年が眼にとまっ
た。
 すれ違いさまにその男の子をちらっと見た
けど、これといった特徴は無く、何処にでも
いる、普通の男の子といった感じかな。
 歳の頃は二十歳になるか、成らないかって
いう処かしら?
 あくる日も同じ時間に、その男の子は居た
。やはり、ぼーっと川を見ている。
 そのとき、あたしは、何故か知らないけど、
無性にこの子を飼ってみたいという衝動に駆
られた。
 丁度、子猫を飼うように、この男の子を飼
ってみたいという思いが、あたしの胸の中に
沸き起こった。
 あたしは、物陰に隠れて、男の子を見てい
た。
 しばらくすると、男の子は欄干を離れて歩
き出したから、あたしは気づかれないように
後を付けた。
 男の子はその橋から程近い、アパートに住
んでいた。
 アパートに入る男の子を見届けて、あくる
日も同じ時間に橋の所に行ってみると、やは
り、居た。
 思いきって、声を掛けてみた。
「君、ここで何をしてるの?」
 若い女の子に不意に声を掛けられて、びっ
くりしているようだった。
「え?僕ですか?別に」
 以外とそっけない返事が返ってきた。
 そう言うと、男の子は、また、視線を川に
戻した。

 

極道女医『釜美』(17)最終回

 くまを助けた釜美達一行は、今度は逆に礼
子を誘拐して、暴阿組事務所に引揚げた。

 事務所に着くと、釜美は玲子を組事務所の
地下倉庫に連れて行った。
「手を後ろに廻しなさい」と礼子に云うと、
後ろ手に廻した手首に手錠を架けた。
「ちくしょう!あたしをどうしようってのよ!」
 釜美に手錠を架けられて礼子は毒づいた。
 釜美は礼子を冷ややかな目で見て云った。
「少しの間、ここで大人しくしていて頂戴。
あなたは、鯛弐組の組長、鯛弐礼二を誘き寄
せる大事な人質なんだから」
 そう云うと、釜美は礼子を倉庫に残して出
て行った。

 礼子が暴阿組に捕まったという知らせを聞
いた鯛弐礼二は歯軋りをして悔しがった。
「くそー。釜美の奴め、礼子を連れ去りやが
って!こうなったら、全面戦争だ!」
 鯛弐礼二は激怒した。組の幹部連中を緊急
招集した。

 一方、鯛弐組と暴阿組に不穏な動きがある
ことを察知した警察は鯛弐組と暴阿組に同時
にガサ入れを行った。
 警察は即座に、銃刀法所持違反容疑で鯛弐
礼二と苦俺釜美を逮捕した。

 間もなく、釈放された釜美はここらが良い
潮時だと思い、組を解散した。
「じーちゃん。恨みは晴らせなかったけど、
良いよね。あたしはもう、疲れたよ。あたし
の代で暴阿組を解散してごめんよ」
 一連の騒動で、勤めていた大学病院も頸に
成った。
 間もなく、釜美は栗を連れて、地方の小さ
な開業医として、町医者を細々と始めた。

                終わり

極道女医『釜美』(16)

 医師とやくざの親分の二束のワラジを履い
た釜美は多忙を極める日々を送っていた。
 病院の仕事が終わると、組の事務所の方へ
顔を出した。
 いつもの様に、組事務所の方へ出向くと、
何やら、事務所内は騒々しかった。
「どうしたの?何かあったの?」
 近くの者に問いただした。
「親分、鯛弐組の奴らが、うちのシマを次々
と荒らし始めたようなんでさぁ。先程も三宮
金融の舎弟から、連絡があって、鯛弐組の礼
子が来て、事務所をさんざん荒らして暴れ廻
った末、店長の《くま》を連れ去って行った
と」
 三宮金融は暴阿組が経営しているサラリー
金融だ。所謂、闇金業者だ。
 そこの店長の《くま》は暴阿組の幹部だ。

 先代の暴阿観留が亡くなってから勢いづい
た鯛弐組はここで一気に暴阿組を潰してしま
おうと考えているのか、最近は街のあちこち
で鯛弐組と暴阿組の組員のいざこざが起きて
いた。
 組員から状況を聞いた釜美は、くまを奪還
すべく、屈強の男達三~四人を選んで、鯛弐
玲子がママをしているバーに出向いた。
 
 釜美は男達を従え、バー『れいこ』がある

雑居ビルの前に立っていた。
「さ、行くわよ」と云って、男達と共にエレ
ベータに乗り込み、バー『れいこ』がある5
Fのボタンを押した。 
 バー『れいこ』の扉の前に立ち、中へ入っ
た。
 バーの店員の男が、「いらっしゃいませ」
と声を掛けてきた。
 身なりはタキシードを着て、こざっぱりと
しているが、その目を見て、この男は用心棒
だと一見して解かった。
 やくざ者独特の目をしていた。
「ママはいる?」と聞くと、男は、「申し訳
ございません。お客様はママのお知り合いの
方ですか?お見受けした所、初めてのお客様
のようですが?」と、慇懃無礼な態度で探り
を入れて来た。
「釜美が来たと言って頂戴」と単刀直入に言
った。
 その一言を聞いて、男の表情は一変した。
「少々、お待ちください」と言って、慌てて

店の奥の方へ消えた。
 間もなく、礼子がバーの店員の男を従えて
やって来た。
「あらぁ?今日は釜美様、直々にお越しです
か?どうなさったんですか?」と云うや、礼
子はおほほと笑った。
「何を惚けて。くまを返して貰うわよ」「あ
ら?ここは動物園じゃ無いので、くまさんは
いませんよ」と笑った。
 釜美は礼子の頬をパンッと平手で殴った。
「惚けてんじゃ無いわよ!このあたしを怒ら
せるとどうなるか想い報せてあげるわ!」と
いうや、後ろに控えている男達に店の奥を探
せと合図した。
 釜美達が店の奥へ雪崩れ込むと、店内は悲
鳴と怒号の渦が巻いた。
 礼子の用心棒の男達が五~六人程、駆けつ
けて来た。
 男達はサバイバルナイフをかざして、釜美
に襲い掛かって来た。
 釜美が連れて来た男達も応戦している。
 二人掛りで釜美に襲い掛かってきた男を、
ひらりとかわし、得意の合気道で一人の男の
二の腕をひょいと掴み、投げ飛ばしてしまっ
た。
 残る一人もあっけなく、投げ飛ばされた。
 男達が格闘している間に、礼子を見つけて
捕まえた。礼子の腕を捻り、ドスの効いた低
い声で云った。
「さ、礼子。観念しなさい。くまは何処?」
 礼子は悲鳴を上げて、くまの居場所を吐い
た。
「痛い!痛い!言うわ!言うから放して」
「最初から、素直に言えば痛い目に会わない
のに」
 礼子にくまの居場所まで、案内させた。
 くまは店の奥まった一室で、一人、椅子に
縛られていた。
「親分!」
 釜美を見て、くまは叫んだ。
「助けに来たわよ」

 くまを助けた釜美達一行は、今度は逆に礼
子を誘拐して、暴阿組事務所に引揚げた。

極道女医『釜美』(15)

 近畿一円の親分衆が集まる中、釜美の襲名
式が司会の進行で行われていた。
「本日は親分さん方、遠い所をお越し頂きあ
りがとうございます。
 ただ今から、我が暴阿組四代目苦俺釜美の
襲名式を執り行いたいと存じます」
 襲名式が始まろうとしていた矢先に、玄関
の方が騒がしくなった。
「組長、鯛弐組がやって来ました!」と血相
を変えた組員が式場内に駆け込んで来た。
「え?鯛弐組が……」釜美は驚いて、次の言
葉が出なかった。
 まさか、鯛弐組が襲名式にやってくるとは
思ってもみなかった。
 そこへ、鯛弐組の鯛弐礼子が10人程の子
分を従えて、どやどやと式場に入って来た。
 式場に入った鯛弐礼子は一旦、入り口の処
で立ち止まると、周りをぐるっとみ回し、子
分を従えて、再び釜美の処へやって来た。
「あー、釜美じゃない。久しぶりね。何年ぶ
りかしら?
 あの時は高校生の時だから、かれこれ、8
年位経つかしら?
 釜美の顔を拝みたくてやって来たのよ」
 忘れろと言われても、忘れもしない鯛弐礼
子。高校生の時、危うく、礼子の罠にはまり、
誘拐される処だった。
 釜美の脳裏にあの日の出来事が鮮明に蘇っ
た。
 釜美は怒りで、わなわなと震えた。
「何しに来たの?あんたなんか呼んでないわ
よ!
 敵地にのこのこ、やって来るとは良い度胸
ね」と云うと、礼子は薄ら笑いを浮かべなが
ら、釜美を小ばかにする態度で右手と首を左
右に振った。
「今日は釜美が組長に就任するおめでたい日
だから、顔を見たくてやって来たのよ。この
まますぐ帰るわよ。安心しなさい。ほほほ」
 そう言い終わると、一転厳しい顔になり、
子分達に「引き上げるわよ!」と云って、そ
の場を去って行った。
 鯛弐礼子は探りを入れる為に来たに違いな
かった。
 就任早々、釜美は、祖父の仇の鯛弐組との
決戦も、いよいよ近くなって来ていることを
予感した。
    
    ・・・

 襲名式も無事終わり、翌日、釜美はいつも
のように病院に出勤した。
 襲名式がテレビでも放映されたことにより、
釜美は一躍、有名人になっていた。
 同僚や患者が廊下ですれ違う時、釜美を見
ると、よそよそしく避けて通った。
 中学生の時の仲間はずれにされた体験が蘇
えった。また、仲間はずれかと、少し寂しい
思いをした。
 医務室に入ると、隣の同僚から、「院長先
生がお呼びです」と言われ、院長室へ向った。
 院長室のドアをノックすると、「入り給え」
という院長の声がした。
 部屋に入ると、苦虫を噛み潰したような顔
で椅子に座っている別区檻が居た。
 釜美にソファーに座るように勧めると、自
分も座って、開口一番、こう言った。
「君ねぇ。困るんだよ、こういう事は。医者
もお客様商売だから、こう言った事が世間に
知れると、マイナスイメージが付いて、客足
も遠のいてしまう。君には悪いんだけど、辞
めて頂きますよ……。と、言いたい所なんだ
が、うちもご多分に漏れず、医師不足でね。
正直、君に辞められると困るんだ。実際、何
か起こった訳でも無いし、今回は不問にしま
す」
 院長の話を聞いて、一安心した釜美は「あ
りがとうございます」と言って、立ち上がる
と、院長は更に付け加えた。
「だがね、今後、何か事件を起こすような事
があったら、即刻辞めて貰うからね。いいで
すね」
「承知致しました」と云って、院長室を出た
釜美は、この病院も長くは無い、何れ辞める
事になるだろうと、遣る瀬無い気持ちになった。

極道女医『釜美』(14)

 故・暴阿観留の葬儀も終わり、初七日も過
ぎた、大安吉日に釜美の襲名式が盛大に行わ
れた。
 黒塗りの高級車が暴阿組の広い敷地に続々
と集まって来ている。
 この日は近畿一円の親分衆が続々とお祝い
に駆けつけていた。
 地元の放送局の記者も来て、カメラの前に
立ってマイクを持ち、話していた。
「えー。私は今、指定暴力団、暴阿組の敷地
の前にいます。
 ここには、今朝から、続々と黒塗りの高級
車が集まって来ています。
 普段は平穏な街ですが、今日は警察のパト
カーも数台集まり、周りはものものしい雰囲
気に包まれています。
 まだ、記憶に生々しい、あの暴阿組組長射
殺事件から、数日が過ぎました。一旦、落ち
着いたかに見えた街並みですが、その静けさ
も何処へやら、今日は一転してこの喧騒に包
まれております。
 今から、新組長の襲名式がここ、三宮の暴
阿組の敷地内で行われようとしております。
 この敷地の喧騒とは対照的に近隣の住民は
外出を控えているようです。
 ここで、視聴者の皆様に暴阿組とはいった
い如何なる組織なのかを解説したいと思いま
す。
 先日、暴阿組の組長暴阿観留が、敵対する
鯛弐組の組員の襲撃により、射殺されました。
住宅が密集する路上で白昼堂々と拳銃が発射
されました。
 射殺された組長暴阿観留は三代目です。
 初代は戦後の神戸の港湾荷役の仕事で財を
成し、暴阿組が出来たとされています。
 最盛期の暴阿組の構成員は1万とも1万5
千とも言われています。
 しかし、現在は警察の取り締まりの強化に
依り、減少の一途をたどり、その数は二千人
程だと言われております。
 今日は射殺された観留組長の孫娘の苦俺釜
美と言う人物が四代目を名乗る、襲名式がこ
こ三宮の暴阿組敷地内で行われようとしてい
ます。
 この苦俺釜美と言う人物は一風変わった経
歴の持ち主で、三宮医科大学付属病院の医師
をしているという事です。
 医者が暴力団の親分になるとは、なんとも
変わった世の中になったものです。
 三宮放送局の《カオル》がお送り致しまし
た。では、スタジオの《のぶ》さん、よろし
くお願い致します。

極道女医『釜美』(13)

  第三章 極道一家崩壊の危機

 救急病院の医師として働く釜美は日々の激
務の中で少々、疲れていた。
「ただいまー」
 自宅のマンションに帰宅すると、栗が出迎
えてくれた。
「お帰りなさい」
 栗の笑顔を見ると、少々の疲れも吹き飛ん
でしまうような気がした。
 釜美は独身だったが、栗の怪我が完治する
と、栗を養子として、引き取った。
 栗は釜美にクマの縫いぐるみを見せながら
云った。
「ねえ、ねえ、これ見て。今日ね、三宮のお
じいちゃんが来てね、これを栗にくれたの」
「あらぁ。おじーちゃん来たの?良かったわ
ねー」
 《三宮のおじーちゃん》とは、釜美の祖父
で暴阿組の組長の暴阿観留だ。
 最近の暴阿組は風営法の改正、警察のマル
暴対策の強化などにより、一昔前の全盛期か
ら比べると大分衰退し、組員も減少の一途を
たどっていた。
 暇を持て余した観留は時々、釜美の所へや
って来た。
 釜美は食事の支度をしながら栗に「今度の
日曜日に、おじーちゃんの所へ行きましょう
ね」というと、「うん!」と元気の良い返事
が帰ってきた。

 翌日、いつもの時間に出勤した釜美の元へ
母の《はじめ》から電話がかかって来た。
「釜美?大変よ。おじーちゃんが撃たれて、
危篤状態なのよ」
「え?おじーちゃんが……」
「そうなの。今朝、犬を連れて散歩をしてい
る処を撃たれたらしいの。相手は鯛弐組の鉄
砲玉らしいの」
「わかったわ。今すぐ行くわ。で、どこの病院
なの?」
「三宮国立病院よ」
「わかったわ」
 釜美は電話を切ると、急いで、三宮国立病
院へ向った。

 三宮国立病院へ着いた、釜美は受付で聞い
た観留の病室へ向った。
「おじーちゃん!」
 釜美が病室へ駆けつけると、釜美の両親と
組の者が何人かいた。
 観留は人工呼吸器を装着していた。
「おじーちゃん!大丈夫?」
 釜美が声をかけると、観留は僅かに頷いた。
 観留は不自由な手でしきりに、人工呼吸器
のマスクをはずそうとしていた。
「おじーちゃん、それをはづしちゃダメよ」
 釜美が言うと、いっそう、はずせという仕
草をした。
「じゃー、ちょっとだけね」
 看護士を呼んで、少しの間、はづして貰う
事にした。
 呼吸器をはずすと、観留はしゃがれた声で
云った。
「釜美、俺ぁ、もうだめだ。釜美。おじーち
ゃんの最後の頼みを聞いてくれ」
「最後だなんて言わないで。おじーちゃん!」
「組を……組を継いでくれ。釜美」
「おじーちゃん。何?聞こえないよ」
「組を頼む……」
「え?私が?」
 それだけを言うと観留は意識を失ったよう
に目を閉じてしまった。
 看護士が慌てて、呼吸器を装着し、医師を
呼んだ。
 医師が来て、観留に処置をしたが、観留の
心臓の鼓動は停止した。
 医師は周りの家族に、「10時34分、お
亡くなりになりました」と死亡宣告をした。
 あまりに突然の事で釜美は動揺した。
 祖父が死んだ今となっては、最後の言葉が
遺言となってしまった。
 釜美は遺体にむかって泣きながら云った。
「おじーちゃん、私に組を継いで貰いたいの?
おじーちゃんの仇はこの私が討ってあげるか
ら……」
「お父さん!」と釜美の母が遺体に
すがって泣いた。
「おやっさん!」と組の者が悔しそうに歯を
食い縛り、俯いた。
 やがて、遺体から顔を上げた釜美の全身か
らは怒りのオーラが発散していた。
 釜美は集まっている組の者に言った。
「今日から、私が暴阿組を執り指揮ります。
たった今、四代目暴阿組組長はこの私、苦俺
釜美が襲名します」
 その一言で組の者は一斉に、釜美に向って
深々と、お辞儀をした。

極道女医『釜美』(12)

 釜美は医務室のパソコンに向って少女のカ
ルテを見ていた。
 少女の容態はだいぶ回復してきた。
 だが、少女の精神面の方は容態の回復と反
比例するように、日に日に悪くなっていった。
 今まで、個室においておいたが、容態も良
くなり、車椅子で移動できるようになったの
で、4~5人の一般病室へ移すことにした。
 釜美は少女のいる個室へ向った。

 釜美は部屋の扉をノックし、少女の部屋に
入った。
「こんにちは、栗ちゃん。診察しますからね
ぇ」
 釜美が少女の診察をすると、少女は釜美に
云った。
「先生、あたしの足、動くようになるんです
か?」
「大丈夫よ。もう少ししたら、松葉杖で立てる
ようになるから、そうしたら、リハビリをしま
しょうね」
「あたし、立てなくてもいい。早く天国のお父
さんとお母さんに会いたい」
 少女はすっかり、生きる希望を亡くしてい
るようだ。
 子供は死というものを怖がり、生命力が旺
盛のはずだが、今、目の前にいる子は、生き
る気力を亡くし、その瞳はまるでうつ病患者
のように生命力を感じられなかった。
「何を言っているの?そんな事を言ったら、
天国のお父さんとお母さんが悲しむわよ。
 栗ちゃんが早く良くなりますようにって、
天国のお父さんとお母さんは見守っているは
ずよ。
 だから、早く良くなって、お父さんとお母
さんを安心させなくちゃ」
「そんな事言ったって、先生。お父さんとお母
さん、あたしには見えないよ。お父さんとお母
さんの声、聞こえないよ!
 だから、あたしが死んで、お父さんとお母
さんに会いに行くの!」
 釜美は少女の訴えに絶句した。
 少女の生きる希望を亡くした心に、なんと
か希望の光を与えてやりたかった。
「だめよ!死ぬなんて。人には神様から与え
られた寿命があるの。その寿命をまっとうし
ないで、人が勝手に自分の命を絶つ事は許さ
れないの。神様の罰が当たって、そういう人
は決して、天国には行けません。
 だから、天国のお父さんとお母さんには会
えなくなってしまうのよ。死ぬなんて、絶対
考えちゃだめ。
 それにね。世の中には生きたくても、生き
られない子が沢山いるの。この病院でも栗ち
ゃんの年頃の子が病気で亡くなっているの。 
その子達は生きたいと思っても生きられず、
短い人生を閉じなければ成らないの。
 栗ちゃんは、あの大事故のなかで助かった
んだもん。それにはきっと、訳があると思う
の。だから、助かった命を大切にしないと。
ね?判った?」
 少女はこくっと首を縦に振った。顔を上げ
た少女の頬に一筋の涙が伝わった。
 釜美は少女の頭を撫でながら、少し、きつ
く言い過ぎたかもしれないと思った。
「だから、栗ちゃんがいい子にしていて、早
く良くなれば、きっと、お父さんとお母さん
も喜ぶわ。先生も、栗ちゃんが早く良くなっ
て、栗ちゃんの笑顔が見たいな」
 少女は「ごめんなさい」と言いながら、釜
美の懐で泣いた。

 一般病室に移された少女は順調に回復し、
今では松葉杖で歩けるようになって居た。
 この頃には、釜美と話す少女の顔にも時折、
笑顔が現れるようになっていた。


 一般病室では、少女と同じ年頃の《ゆみ》
という子がいた。
 ゆみは小児ガンに侵されていて、白血病を
発症していた。
 ゆみの明るい性格に、栗は入室したその日
から、すぐに友達になった。
 ゆみと話す、栗の表情にも笑顔が戻ってき
た。
 ゆみは栗に、「病気が治ったら、釜美先生
のようなお医者さんになるんだ」と、よく言
っていた。
 ゆみと栗はいつも、行動を一緒にした。
 しかし、一緒に居られる日は、長くは続か
なかった。
 ゆみちゃんの容態は日に日に悪化し、特別
室へ移されることになった。
 特別室に移る日に、ゆみちゃんはベッドの中
で栗に云った。
「私、もっと、生きたい。元気になって、栗
ちゃんともっと遊びたい。将来はお医者さん
になって、病気の人を助けてあげたい。
 もっと、生きたいよ……。もし、私が死んだら、
栗ちゃん、私の分も生きて。私は栗ちゃんの
傍に、何時もいるからね」
 栗はベッドから伸びる、ゆみちゃんの手を
握って言った。
「ゆみちゃん。大丈夫だよ。きっと、元気に
なるよ。元気になって、また一緒に遊ぼ」
「うん」とゆみちゃんは力無く頷いた。
 ゆみちゃんはベッドごと、特別室へ移動さ
れた。
 
 それから、数日後にゆみちゃんは亡くなった。
 看護士さんから、ゆみちゃんが亡くなった
事を聞かされた栗は悲しみに暮れた。
 この時、栗はあらためて、釜美先生の言っ
ていた、「生きたくても、生きられない人が
いるのよ」という言葉を思い出した。
 ゆみちゃんの為にも、あたしは強く生きる
んだと、幼いながらも、栗はこの時、堅く心
に誓った。

極道女医『釜美』(11)

 理容子は釜美にどうしたものか、相談に行
った。

 なにやら、理容子が深刻な顔をして、私の
所へ来た。
「釜美先生、205号室の栗ちゃんなんです
けど。お父さんとお母さんに会わせてって云
ってきかないんです」
 いよいよ隠しておく訳にはいかなくなって
きたようだ。釜美は書類を書いていた手を休
め、理容子に言った。
「栗ちゃんの容態が悪い内は本当の事を話さ
ない方が良いと思って嘘を言ったけど……」
「かと言って、先生、何時までも隠しておく
訳には……」
 釜美は一時、思案していたが、意を決する
ように云った。
「そうね。いづれは本当の事を話さなくては
いけないわね。栗ちゃんも大分良くなって来
たようだし、私の方から話します」「栗ちゃ
んを見ていると、可哀想で。毎晩、夢にうな
されているのよ」と理容子が云うと、釜美も
困った様子で「そうね。栗ちゃんの心のケア
が必要ね。わかったわ。理容子」と言うと、
机の上を片付けて、少女の居る病室へと向か
った。

 釜身は少女のいる部屋へ入った。
 ベッドに寝ている少女の診察を終えると、
「はい。大分良くなって来たわね。もう少し
で、動けるようになるわよ」と云って、少女
の頭を撫でた。
 少女は、「先生、お父さんとお母さんに会
わせて」と云った。
 少女の訴えるような表情を見ていると、こ
れ以上隠す事は出来ない。本当の事を話さな
ければと思い、胸が痛んだ。
「あのね。栗ちゃん。今から、先生の言う事
を良く聞いてね」
 両親は事故当日に亡くなって、天国へ行っ
たという事や、少女の身柄は釜美が引き取る
という事を話した。
 少女は釜美の話を聞いていたが、何を言っ
ているのという様子で、途中何度も「うそ!」
と言って釜美の話を信じようとしなかった。
 まだ、小学生の少女には、両親が既にこの
世に居ないという現実を受け止める事は出来
ないようだ。兄弟も親戚もいない栗にとって
は、両親が唯一の肉親だった。
「先生は、栗に、何でそんな嘘をつくの?」
 少女は泣いていた。
 釜美は少女の涙をハンカチで拭ってあげる
と、「ごめんね。先生また来るから」と言っ
て、少女のいる部屋を出た。
 自然に釜美の頬にも涙が伝わった。

極道女医『釜美』(10)

 少女は病院のベッドの中で夢を見ていた。
 それは悪夢だった。
 少女は同じ夢を毎日何度も何度も繰り返し
見せられた。


 今日は、お父さんとお母さんと栗の三人で
遊園地に遊びに行く日。
 お父さんは何時もお仕事の帰りが遅い。
 栗はお父さんが帰って来るまで、がんばっ
て起きていようとするんだけど、眠くなって、
何時も寝てしまう。
 お父さんは朝早く家を出るので、朝もあま
り、会って無い。
 栗が起きてくる頃には、お父さんは「行っ
てきます」と云って、玄関を出て行く。
 お母さんが「行ってらっしゃい」と云って
お父さんを見送っている。
 土曜日や日曜日もお父さんはお仕事に行く
ことがある。
 つまんない。
 でも、今日は違う。
 三人で遊園地に行く日。
 うれしくて、今日は朝早く目が覚めた。
 お母さんも楽しそうにニコニコしている。
「さあ。用意は出来たか?行くぞ」とお父さ
んが言った。
 荷物を持って、お父さんが先に車の所へ行
った。
 お母さんと栗は後から車に乗った。
 お母さんは助手席で栗は後部座席に乗った。
「さあ、出発だ」とお父さんが云った。
 何処か知らないけで、車は山道を走ってい
る。
 くねくねと曲がりくねった道路で、急な坂
道を降りたり、登ったり。
 霧が出てきた。昼間なのに、なんだか薄暗
い。
 と、そこへ、ダンプカーが道路の真ん中を
はみ出して、こちらへ向かって来る。
 お父さんは「わー!」と云ってハンドルを
切ったけど、間に合わない。
「キャーッ!?」とお母さんの叫び声。
 車がダンプとぶつかった。
 突然、目の前が暗くなった。
 痛い!痛いよー。足が動かない。体が動か
ない。
 お父さんとお母さんが血だらけ。
 いくら呼んでも、返事をしてくれない。
 助けて、助けてよー。
 ぶつかったダンプカーから、おじさんが降
りて来た。
 おろおろしている。
 早く助けてよー。痛いよー。
 また、目の前が暗くなってきた。


 少女はベッドの中で目覚めた。
「お父さん!お母さん!」
 少女は叫んだ。
 少女の叫び声を聞いて、看護士の理容子が
掛け付けた。
「どうしたの?栗ちゃん」
 少女は理容子に必死に頼んだ。
「お父さんとお母さんに会わせて!」
「まだ、栗ちゃんは動けないでしょ。動けるよう
になったら、会わせてあげますからね」
「やだ!今すぐ会わせて!」
 理容子は困った様子で、「じゃー。先生と
相談して来るから、いい子にしてて」と云っ
た。
 少女は「うん」と返事をしておとなしくなっ
た。
 理容子は釜美にどうしたものか、相談に行
った。

極道女医『釜美』(9)

 釜美の執刀に依り、少女は一命を取り留め
た。
 手術後にオペ室を出ると、少女の親族が誰
も来ていなかった。不審に思い、事務局に問い
合わせてみた。
 事務局の話だと、少女の両親には親戚が居
なかった。
 少女の名は序衿栗。
 父親の名は序衿理恵男。
 少女の母親の名は序衿ようこ。

 後からわかった事なのだが、
 母親のようこの結婚前の国籍は中国。
 ようこは出稼ぎで日本のスナックで働いて
いた。本国の母親へ送金をしていたようだが、
その母親も亡くなり、送金の必要は無くなっ
た。
 本国の母親を亡くし、悲嘆に暮れていた頃、
スナックへ客として来ていた、少女の父親と
出合い結婚をした。

 父親の序衿理恵男は日本人だが、兄弟は
居なかった。
 ようこと結婚する時も、両親の反対に会い、
駆け落ち同然に結婚をした。
 その父親の両親も今はもうこの世にいない。
 手術後の翌日、少女の意識は戻った。
 看護士の理容子から、少女の意識が戻った
と聞かされ、急いで少女の病室へ駆けつけた。
(看護士の理容子は高校時代の同級生だ。
 偶然にも同じ大学病院に勤務することにな
った)

 少女の病室へ入ってみると、少女はベッド
の中で起きていた。
 少女は病室に両親がいない事に気づいた。
「ねぇ。お父さんとお母さんは?」
 釜美に聞いてくる、あどけない表情を見て
いると、どうしても本当の事は言えなかった。
「あのね。栗ちゃん。お父さんとお母さんも
怪我をしてね、今は別の病室に居るの」
 釜美の返事を聞いて、栗は泣き出した。
「お父さんとお母さんに会いたい!」
 少女の涙が、頬を伝わって、枕を濡らした。
「お父さんとお母さんには、栗ちゃんが良く
なれば、会えるから。ねっ」
 とりあえず、嘘を言わなければならない現
実が悔しかった。
 少女は泣き止み、「本当に?」と釜美に云
った。釜美は「本当よ。先生が約束する」と
云って、少女の涙をハンカチで拭ってあげた。
 釜身は医務室へ戻り、少女の退院後のこと
を考えた。
 少女には兄弟も無く、天涯孤独の身となっ
たことになる。
 少女のこれからの人生を考えると不憫でな
らなかった。
 釜美の少女時代も不遇だった。
 両親の実家が暴力団だったばっかりに、孤
独な中学時代を送った。
 頼れる人や仲間が居ないと言う事がどんな
に辛い事か良く知っていた。
 本来は施設へ入れるべきなのかも知れない
が、なんとか少女の身柄を引き取りたいと思
った。

極道女医『釜美』(8)

 第二章 女医釜美

 あの事件から、鯛弐礼子は釜美に対して、
手出しをしなくなった。
 釜美は後顧の憂い無く、子供の頃に誓った
思いを胸に受験勉強に身を入れた。そして、
念願の三宮医科大学に見事合格した。
 三宮医科大学を卒業した釜美は外科医とし
て、三宮医科大学付属病院に勤務していた。
 釜美は救急医療部門の医師として、多忙を
極める日々を送っていた。
 
 今日も救急車から、ストレッチャーに載っ
た患者が運びこまれた。
 運びこまれたのは交通事故で、怪我を負っ
た、小学生三年生くらいの女の子だった。
 女の子の意識は無かった。
 釜美は他の医療スタッフ達と緊急オペ室に
入った。
 女の子は肋骨が数本と、右足を骨折してい
た。
 救急隊員の話によると、事故当時の現場は
酷い惨状だったようだ。
 ダンプと少女の乗っていたミニバンが正面
衝突し、ダンプの運転手に怪我は無かった。 
ミニバンを運転していた父親と助手席の母親
は即死し、後部座席の少女は意識不明の重体
で運ばれた。

 少女は夢を見ていた。
 辺りはコスモスがいちめんに咲いている、
お花畑だった。
 少女の両親が少女に向かって、二人で手を
振っていた。
 少女の両親はこちらに向かって手を振りな
がら、だんだん遠退いて行く。
「お父さん、お母さん、何処行くの?栗を置
いて行かないで!?」
 少女は両親に向かって叫んだが、両親には
聞こえて無いようだ。だんだん遠退いて行く。
「ねぇ?行っちゃ、やだってばー!」
 やがて、少女の両親は光に包まれて、その
姿形は透き通るように薄くなって、消えてし
まった。
「お父さん!お母さん!」
 少女は必死に叫んで、両親の消えて行った
場所へ駆けて行ったが、そこには何の痕跡も
無かった。
 少女は一人、コスモスが咲き乱れる花畑に
佇み、呟いた。
「お父さん、お母さん、栗を置いて、何処へ
行っちゃったの?」
 

 手術は無事終えた。
 釜美の執刀に依り、少女は一命を取り留め
た。

極道女医『釜美』(7)

 礼子が凄むと、栗子は叩かれた頬を左手で
抑えて、小さくなった。

 栗子は礼子に脅されて、渋々、引き受けた
ものの、再度、釜美を騙す事はどうしても出
来なかった。
 翌日の放課後、栗子は釜美のいる美術室に
会いに行った。
 そして、礼子に脅されていると云う事を釜
美に包み隠さず打ち明けた。
「そうなの……。わかったわ、栗子さん。よ
く話してくれたわね。ありがとう」と釜美は
栗子の手を両手で包み込むように握手した。
「あたしに、名案があるわ。ええーとね。栗
子さんは、あたしを呼び出して、睡眠薬をあ
たしに飲ませるの。もちろん、睡眠薬の粉は
本物じゃなくて、砂糖か何かにすり替えて置
いてね。あたしは狸寝入りをするから。そこ
へ礼子の一味が現れたら、また、こてんぱん
にやっつけてやるわ」
 栗子は不安そうな顔をして、「あたし、礼
子を裏切って、復讐されないかな」と云った。
釜美は「ははは」と豪快に笑って、「その時
はあたしが守ってあげるわよ」と云った。
 栗子はその言葉を聞いて、少し、安心した。

 その晩、栗子は礼子に携帯で連絡した。
「礼子さん?明日の放課後、釜美を学校の近
くのもんじゃ焼き屋さんに誘う事にしたから
……」
「わかったわ。首尾は上々のようね。後はわた
し達に任せて」
 そういうと、携帯は切れた。
 とうとう、明日が釜美略奪の決行の日とな
ってしまった。礼子を裏切る事は怖かったが、
それ以上に釜美を裏切る事は出来なかった。

 翌日の放課後、栗子は釜美と一緒にもんじ
ゃ焼き屋『もんじゃりっこ』に行った。
 ここは、学校帰りの学生がよく、たむろし
ていた。
 もんじゃ焼き屋のおやじは「いらっしゃい。
お、栗子っち。試験終わったのかい?」と云
った。
 「やだなぁ、オロおじさん。試験なんか、
とっくの昔に終わってますよー」と、栗子
はべーっと舌を出した。
 店の中を見回すと、礼子とその仲間の男二
人が店の隅の方にいた。
 釜美はまだ、礼子の顔を知らないはずだ。
 礼子も今日が釜美を見るのは初めてのはず。
 栗子は、それとなく、釜美に、「あれが、
礼子よ」と教えた。
 釜実は「わかった」と頷き、栗子と話しを
している風を装った。
 そして、ジュースを飲んだ後、眠くなった
ように、うつらうつらとした。
 栗子は釜美が睡眠薬を飲んだ事を礼子に話
した。
 礼子は「わかったわ」と云うと、眠そうに
している釜美の方へ行った。
「あらぁ。釜美さんじゃなーい。こんな所で
寝たら、カゼひきますわよ。私の彼の車で家
まで送ってあげますわ」と、釜美を知らない
くせに、知人の如く振舞って、釜身を車に乗
せようとした。
 釜美はふら付きながら、礼子達に支えられ
て、店を出た。
 栗子も後をついて店を出た。
 店を出で、数歩歩いた瞬間に釜美はしゃき
っとして、礼子達の手を振り解いた。
「あなた達、あたしを何処へ連れて行こうっ
ていうの?」
 それを見た、礼子は唖然として、「栗子。
これはどういう事!?」と云った。
 栗子は借りてきた猫の様に小さくなって、
釜美の後に隠れた。
「あんた達も懲りないわねー。あなたが礼子
ね。許さないわよ」と釜美が云うと、礼子は
男二人に「やっちゃって」と云った。
 礼子の一言で、男二人が無言のまま、一斉
に釜美に襲いかかって来た。
 今度の男達は先日のチンピラと違って、な
かなか手強かった。
 釜美と間合いを取って、一人が襲いかかる
と、もう一人が波状攻撃をかけて来るといっ
た具合で、釜美は男二人に苦戦した。
 それでも、男達は何度も、釜美に投げられ
て、次第に消耗していった。
 遂に男達はドスの鞘を抜いて、釜美に切り
かかったが、それも、さらりとかわされてし
まった。
 次第に周りに野次馬が集まってきた。
 流石にやばいと思ったのか、礼子は男達に
「ちっ。引き上げるわよ!」と云うと、男二人は
礼子を庇うように、近くに停めてあった車に乗
り込むと、急発進をして去っていった。
 栗子は釜美が怪我をして居ないかと心配に
なり、「釜美さん、大丈夫?」と駆け寄った。
 釜美は額の汗を手の甲で拭いながら、
「ふー。行ったわね。今回はあたしも苦戦した
わ」と云った。
「ごめんなさい。釜美さん。何度も危ないめ
に会わせて。本当にごめんなさい」と栗子が
云うと、「大丈夫。これで、礼子も懲りたで
しょう。当分、ちょっかいを出して来ないと
思うけど」と爽やかに笑った。

極道女医『釜美』(6)

 釜美の奇襲に失敗した鯛弐組のチンピラ達
は鯛弐礼子に報告した。
「お嬢。申し訳ありません。この体たらくで
す」と釜美に折られた腕のギプスを見せた。
「だらしないわね。それで、逃げ帰って来た
って訳?」
「お嬢、それが、あのアマ、強いのなんのっ
て。まともに太刀打ち出来やせん
ぜ」
「釜美は合気道をやるらしいけど、本当
のようね。わかったわ。作戦を変えましょう

 礼子は栗子に携帯で電話した。
「あ、栗子。あたし、礼子。組の者が釜美に

けちょんけちょんにやられたけど、このまま
では収まらないわよ」
「ううん。もう、良いの」
「え?何?良いって?ふざけないでよ」
「もう、いいの」
「何言ってるのよ。解かってるの?このまま
では収まらないわよ。栗子も覚悟しなさい」
「え?あたし……」
「組の者がやられて、はい、そうですかと、
引き下がる訳にはいかないのよ!栗子にも
手伝って貰うからね!」
 そう云って、礼子は電話を切った。
 礼子は腹の虫が納まらなかった。
 もともと栗子に頼まれて始めた事だったが

暴阿組とは因縁の対決だと思っていた。

 二日後、礼子は、一人で栗子の家の玄関の
前に立っていた。
「ピンポーン」
 玄関のチャイムを鳴らすと、栗子の母が出
てきた。
「栗子さんいますか?」と云うと「栗子~。
お友達よ~」という栗子の母の声がして、栗
子が玄関口までやって来た。
 栗子は礼子を見て、嫌な顔をしていた。
「栗子。ちょっと、そこまで、顔かして」
 渋い顔をしている栗子を近くの喫茶店に誘
い出した。
 
「いい?釜美を誘い出して、これを飲ませるのよ」
と、薬袋を渡した。
「何?これは?」薬を見て、栗子は不審そう
に聞いた。
「粉状にした、睡眠薬よ。飲ませた後はあた
し達に任せればいいわ」
「いや!」っと栗子は薬を投げ出した。
 礼子は薬を拾うと、「ばしっ」と栗子の頬
を叩いた。
「ふざけるんじゃ無いよ!わかってんの?も
う、後には引けないんだよ!」
 礼子が凄むと、栗子は叩かれた頬を左手で
抑えて、小さくなった。

極道女医『釜美』(5)

 釜美は、こういった男達は見慣れていた為

自分の身に危険が迫っていることを敏感に察
した。

 男達はにやにやしながら、釜美と栗子の方
へ近づいてきた。
 栗子は男達に、「釜美を連れてきたわ」と
云った。
 男達は釜美を見て、下卑た笑いをしながら
釜美の方へ近づいて来た。その中の、頭をモ
ヒカン刈りにした、見るからにヤンキー風の
小男が言った。
 「へっへへへ。ねーちゃん、俺達と楽しい
事して遊ばない?」
 釜美は男達を睨みつけ、ドスの聞いた低い
声で、「あんた達、あたしを誰だと思ってん
の?」と云った。
 男は、「おー!?怖えー!ひゃひゃひゃ!」
と奇妙な笑い声を出すと、「そんな事ぁ、関
係ねーんだよー!」と言い出し様に、釜美に
蹴りを入れて来た。
 釜美は咄嗟にモヒカン男の蹴り出した足首
を掴み、軽く捻ると、男の体は半回転して、
もんどり打って、地面に転がった。
 「やりやがったな!」地面に転がる仲間を
見て、他の男が、バタフライナイフをかざし
て、釜美に向かって来た。
 釜美は両手をぶらりと下げ、体から力を抜
いた体制で男を迎えた。
 合気道五段の釜美は全身の力を抜き、相手
の動きに集中した。
 合気道は相手の力を応用し相手の力に逆ら
わずむしろ逆用し、相手を制することを特徴
とする。
 力の弱い女性でも、例え相手が大男だった
としても、一瞬にして倒す事が可能だ。

 男の突き出す、ナイフを持つ手首を捕まえ
ると、体を捻り、「えいや!」とばかりに自
分の肩に梃子のように男の腕を乗せ、下に引
いた。
 ボキリと鈍い音がした。男の腕が折れたよ
うだ。
「ひー!」腕を折られた男は悲鳴を上げ、そ
の場に蹲ってしまった。
 それを観ていた他の二人は「兄貴!」と言
いながら、腕を折られた男を支えて、立たせ
た。
 腕を折られた男は苦痛に顔を歪めながら、
「くそー!このアマ!覚えてろよ!」と捨て
台詞を吐くと、「おい、引揚げるぞ」と云っ
て、他の男達と共に、足早に逃げるように去
って行った。

 釜美は、逃げて行く男達の背を観ながら、
あの喧嘩慣れしたやり口といい、背の低い男
達といい、鯛弐組の奴らに違いないと思った

 喧嘩の勝敗は数分でついた。
 後ろを振り返ると、栗子はその場に唖然と
して、立ち尽くしていた。
「栗子さん。これはどういう事か説明して頂
戴」と釜美は云った。
 栗子はわなわなと震えながら、「ごめんな
さい!あたし、あたし……」と云うや、泣き
ながら事の次第を説明した。
「ひっく。あたし、弟から美術部での事を聞
いて、それで、釜美さんに復讐しようと思っ
て……。うわーん、ごめんなさーい」
 号泣する栗子を見て、釜美はこれ以上責め
てもしょうがないと思い、「解かったわ。高
部君にあんな事を強要した、あたしがいけな
かったのよ。ごめんなさいね。あたしの方こ
そ許して」と栗子の手を取った。
 栗子は「ごめんなさーい」と更に大声で泣
いた。

 栗子の話しに依ると、あの男達は鯛弐礼子
に頼んで、集めて貰ったようだ。
 鯛弐礼子と謂えば、鯛弐組組長、鯛弐礼二
の娘。三宮女子高等学校の三年生。
 その名前は釜美と同じく、地元では知らな
い者はいなかった。
 やはり、鯛弐組が関わっていた。
 鯛弐組と云えば、暴阿組との抗争が耐えな
い相手。縄張り争いで、何時も、祖父が手を
焼いている相手だ。
 この出来事から、好むと好まざるとに関わ
らず、釜美は鯛弐組の存在を強く意識しだし
た。

極道女医『釜美』(4)

 この時、釜美に魔の手がひたひたと押し寄
せている事を本人は知る由も無かった。

 高部は家に帰り、姉の栗子に、今日、美術
部で褌一丁でモデルにされたことを話した。
 高部の姉、栗子は高部とは年子で同じ高校
に通う三年生だ。スポーツ万能で国体にも出
たことがある。
 今は陸上部の部長を引退し、受験勉強に勤
しんでいた。
 スポーツ万能で勉強も出来る姉を弟は尊敬
していた。
 弟はちょっと、シスターコンプレックスの
所もあるが、いつも、姉に相談を持ちかけて
いた。
 学校から帰ると、今日あった出来事を早速

姉に報告しに姉の部屋へ行った。
 受験勉強をしているであろう、姉の部屋の
ドアをノックした。
「お姉ちゃん。ちょっと、いいかな?」
「はーい」と部屋から返事があった。
 部屋に入ると、姉は机に向かって勉強して
いた。
「お姉ちゃん。今日、僕、とっても恥ずかし
い事をされたんだ」
 栗子は勉強の手を休め、くるりと椅子を回
して、弟と向き合った。
「何?恥ずかしい事って?」
 弟は言いにくそうに、もじもじしながら
「うん。それでね……」と恥ずかしそうに、
美術室で起きた、事の成り行きを姉に説明し
た。
「まあ?そんな辱めを受けたの?」
「うん」
「その部長の釜美っていう子はふてぶてしい
女ね。朗具をそんなめに逢わせて……」
 栗子は何か思案していたが、しばらくする
と弟に云った。
「わかったわ。お姉ちゃんに任せなさい。そ
の釜美っていう子をぎゃふんと言わせてあげ
るわ」
 弟は慌てて、姉に云った。
「お姉ちゃん、ダメだよ。釜美は暴力団の娘
なんだよ。仕返しに何されるか、わかんない
よ!」
「そうなの?わかったわ、お姉ちゃんに任せ
なさい」
「お姉ちゃん、あんまり、無茶しないでよ」
 弟は心配そうに、姉の部屋を後にした。

   ・・・

 弟の話を聞いた栗子は中学時代の同級生の
鯛弐礼子を思い出した。
 礼子の家もやくざだったのを思いだした。
 電話帳で調べ、何年振りかで電話してみた

 しばらくすると、野太い男の声で、「はい

鯛弐建設」と受話器から聴こえた。
「あのう?高部と云いますが、礼子さんいま
すか?」というと、「あ、お嬢ですか」と云
った。
 受話器の向こうで「お嬢」と礼子を呼
んでいるのが聴こえる。
「はい。礼子です」
 礼子が出た。
「礼子?久しぶり。元気?」
「うん。超久しぶりだねー。元気?どうし
たの?」と礼子の声は弾んでいた。
「あのね。ちょっと、相談に乗って欲しい事
があって……」
「そうなんだ。わかったわ。暴阿組には、
あたしも頭に来てるのよ。その釜美って
いう子、うちの若い者使って、とっちめて
やるわ」

   ・・・

 釜美は何時ものように放課後、美術室で絵
を描いていると、高部の姉がやって来た。
「釜美さん。うちの弟がいつもお世話になっ
ております。ちょっと、お話があるんですが
……」
 釜美は「何でしょうか?」と云った。
 釜美は高部の姉と話すのは、この時が始め
てだった。
「はじめまして。私は高部の姉の栗子です。
釜美さんにちょっと、お話がありまして。ち
ょっと、そこ迄ご同行できますか?」
 改まって、何だろうと思いながら、高部の
姉の後をついて行った。
 校門を出て、直ぐの路地裏の方へ栗子は歩
いて行った。
 釜美は不審に思い、栗子に聞いた。
「ちょっと、栗子さん、何処まで行くんです
か?」
「おほほ。ごめんなさい。もう、少しですか
ら」
と云いながら、釜美を路地裏の更に奥へと
誘導した。
 路地裏の奥まった所に何やら、たむろして
いる若者が三~四人いた。
 見るからに、街のチンピラ風情の男達だっ
た。
 釜美は、こういった男達は見慣れていた
為、自分の身に危険が迫っていることを
敏感に察した。

極道女医『釜美』(3)

 釜美は地元の進学校へ入学し、二年生に成
っていた。
 その間、友達も出来た。だが、中学の時の
ように、グループを作り、群れで行動するこ
とは無かった。
 進学校の為、中学の時に居た様な不良グル

プも存在しなかった。
 だが、釜美はこの時、自分では意識しなか
ったが、知る人ぞ知る、裏スケバン的存在に
為っていた。
 釜美の一声で大勢の人が集まった。
 文化祭の実行委員の時も釜美の采配で大勢
の人間が動いた。
 他校の生徒にも釜美の存在は知れ渡ってい
た。
 
 釜美は二年生に成って、美術部の部長にな
った。
 三年生は受験の為、部には来なくなった。
 何時ものように放課後、美術室で絵を描い
ていた。
 人のデッサンをしていたが、どうも物足り
ない。ミケランジェロのダビデ像のような裸
の男性を描きたかった。
 釜美は歳の割りには、男の裸は見慣れてい
た。組の者が裸で事務所の中をうろうろする
のは日常茶飯事だ。
 しかし、同年代の男の子の裸は見た事が無
かった。
 どうしても、若い男の子の裸が描きたかっ
た。
 釜美は同じ美術部の一年生の男の子に部長
権限で命令した。
「ちょっと、高部君。こっち来て」
 呼ばれた男の子は何だろうと思いながら、
びくびくしながら、釜美の元へ行った。
 釜身には、ある事無い事、尾ひれが付いて
いろいろな噂が飛び交っていた。
 そんな訳で、一年生は皆、釜美の事を多少
なりとも、恐れていた。
「はい。何でしょうか?部長」
 高部は恐る恐る聞いた。
「君ね。ちょっと、服脱いで、そこに立って
くれない?」
 釜美は事も無げに言った。
「え?部長、今、何て言いました?」
 高部は聴こえたのか聴こえなかったのか再
度、聞いてきたので、今度はゆっくりと、は
っきりと言ってあげた。
「服を全部脱いで、そこへ立って頂戴」
 高部はびっくりした顔で「ええーー?服を
脱ぐんですか?全裸ですか?」と云った。
 釜美は表情一つ変えず事も無げに「そ」と
云った。
 高部は両手をオーバーに振りながら「部長

それは勘弁してくださいよー」と拒否してき
た。
 釜美はジロッと高部を睨んで「あたしの言
う事が聞けないの?」と云った。
 高部はその一言ですくみ上ってしまった。
「部長、全裸は勘弁してくださいよー」と泣
き顔で言った。
「じゃー、仕方ないわね。全裸は勘弁してあ
げるから、代わりにこれ着けて」と、バッグ
の中から、褌を取り出した。
 組の者から、今朝、借りて来たのだ。
 それを見た高部は、恥ずかしそうに、褌を
受け取った。
「これ、褌じゃないですかー?」
「そうよ」と釜美は云い「まさか、これもダ
メっ
て言うんじゃないでしょうね?」と凄みを利

せて云った。
 高部は渋々、「わかりましたよ。これ、着
ければ良いんでしょう」と言いながら、部屋
の隅へ行き、服を脱ぎ出した。
 他の部員はこのやり取りを固唾を呑んで見
守っていた。
 釜美は部員に言った。
「さー、みなさん。高部君がモデルに成って
貰えるようです。はりきって良い絵を描きま
しょうね」と、云う成り、高部にポーズを指
示すると、早速、キャンバスに向かって下絵
を描き始めた。

   ・・・

 釜美は二年生の頃から、文化部の全実権を
握っていた。三年生の生徒会長も釜美には一
目置いていた。
 そんな、釜美を疎ましく思う人間も少なか
らず居た。
 この時、釜美に魔の手がひたひたと押し寄
せている事を本人は知る由も無かった。

極道女医『釜美』(2)

 月日が流れるのは速いもので、釜美も三宮
中学の一年生に成った。
 釜美にはリーダーの素質があるのか、その
人望と面倒見の良さから、中学に入っても釜
美の周りには人が集まった。
 本人の意識するしないに関わらず、釜美の
周りには人が集まり、次第にグループを形成
して行った。
 釜美のグループとは別に、同学年の利美と
いう子にも、仲間が集まりグループを形成し
つつあった。
 利美は瓶田財閥の一人娘で、何不自由無く
育った。
 天真爛漫な性格と美貌から、特に男の子の
取巻きが多く、利美の廻りには常に三~四人
の男達が付いて廻った。
 釜美と利美、その出自や性格から何から、
全く正反対の二人が衝突するのはごく自然の
事なのかも知れない。

 事件は起こった。
 利美のグループの子で、絵美という子が釜
美は暴力団の娘だと、学校中に言いふらした
のだ。
 絵美の父親はヤミ金業者から借金をした。
 そのヤミ金業者は暴阿組が経営するものだ
った。
 この頃、釜美の母、はじめは、頼まれて、
ヤミ金業者の事務を手伝っていた。
 はじめと絵美の父親はヤミ金業者の事務所
でばったり会った。
 世の中は狭いもので、絵美の父親と釜美の
母親は同級生だった。
 二人は懐かしさも手伝って、お互いの子供
が中学生で三宮中学に通っていることなどを
話した。
 絵美の父親は昔のよしみで釜美の母『はじ
め』に借金の利子をちゃらにしてくれと頼ん
だ。
 『はじめ』は父の観留にその事を話したが、
聞き入れては貰えなかった。
 そういった一部始終を絵美の父親は家族に
話した。

 釜美は祖父が暴力団の親分だという事をひ
た隠しに隠していた。
 学校の帰りは何時も一人で帰った。何より
も、友達に家を知られるのが怖かった。
 そんな釜美にとって、恐れていた事がとう
とう起こってしまった。
 その事が学校中に知れ渡り、グループから、
一人二人と釜美の元を去って行った。
 気が付くと、釜美は一人孤立する状態に成
っていた。
 
 ある日、釜美は利美のクラスへ抗議しに行
った。
 利美の机の周りには四~五人の子が集まり、
談笑していた。
「ちょっと、利美。あんたん所の絵美って言
う子が、有ること無いこと、私のことを学校
中に言触らしたそうね?」
 廻りは水を打ったように静まり還った。
 利美は何の事と謂わんばかりに惚けて「何
を言ってるの?あたしはそんな事、知らない
わよ」と云った。
 釜美はその一言を聞いて、今まで押さえて
いた感情が爆発し、怒り心頭に発した。
「惚けるのもいい加減にしなさいよ!あんた
ん所の絵美って言う子が言触らしているのを、
あたしの友達が聞いてるのよ!」
 そう言うなり、利美の頬を平手で、「パン
ッ」と打った。
「何をするの!」
 利美は親にも殴られた事も無いのに、他人
に殴られた事が、相当ショックだったようで、
その場に呆然と立ち尽くした。
 それを見ていた、利美の取巻きの男の子が
黙っては居なかった。
「何するんだ!テメー!」と云うなり、釜美
の襟首を掴もうとした。
 釜美は相手の右手の小指を一瞬の内に掴み、
「えいっ」とばかりに捻った。
 男の子は「ギャー」っと叫び、もんどり打
って倒れた。
 釜美は合気道の心得もあった。
 それを見た利美のとりまきの男の子達は一
斉に釜美から距離を置いて離れた。
 倒された男の子は立ち上がって「ちきしょー。
憶えてろよ。利美さん、こんな奴は相手にし
ないで、向こうへ行きましょう」と云って利
美の手を取った。
 利美はとりまき達に囲まれるようにして、
その場を去った。
 後に残された釜美を遠巻きに見る、利美の
クラスの子達の視線に、釜美は耐えられなく
なり、無言でその場を去った。
 この事件から、釜美はいっそう、周りから
恐れられて、孤立した状態になった。
 だが、ただ一人、釜美を慕って、以前と変
わらず接してくれる子がいた。同級生の理容
子だ。
 彼女のおかげで釜美は精神的にどれだけ助
けられたことか。
 二人は親友となり、その後も二人三脚の人
生を送ることになる。

   ・・・・

 釜美の中学時代は友達も少なく、寂しいも
のとなったが、その分、勉強に打ち込んだ。
 子供の頃に思った(医者になって、ケガを
している人を助ける)という志は今も変わら
なかった。
 釜美は兵庫県有数の進学校に進学した。

極道女医『釜美』(1)


  極道女医『釜美』
             ようこ

 この物語は数奇な運命に翻弄されながらも
強く生きる、ある女の一生を綴った物語であ
る。
    ・・・・

 物語に登場する人物及び団体は架空のもの
です。実在の人物および団体とは一切関係あ
りません。

   主な登場人物

 苦俺 釜美 ━━ この物語の主人公。極
道一家の孫として生まれ、数奇な運命に翻弄
される女

 苦俺 釜地 ━━ 釜美の父

 苦俺 はじめ ━━ 釜美の母

 別区 檻 ━━ 三宮医科大学付属病院の
院長

 来流 信 ━━ 三宮医科大学付属病院の
実習生

 阿笛美 ━━ 三宮医科大学付属病院の看
護士

 理容子 ━━ 三宮医科大学付属病院の看
護士

 暴阿 観留 ━━ 暴阿組の組長

 暴阿 やち子 ━━ 観留の妻

 老楠 羅府羅 ━━ 暴阿組の若頭

 鯛弐 礼二 ━━ 鯛弐組の組長

 竹部 朗愚 ━━ 鯛弐組の構成員

 序衿 栗 ━━ 薄幸の少女

 序衿 理恵男 ━━ 栗の父

 序衿 ようこ ━━ 栗の母

 序衿 理恵 ━━ 柔術家

   主な団体

 三宮医科大学付属病院
 その名の通り、私学の三宮医科大学の付属
病院。
 理事長である別区檻が自ら創設した病院で、
院長を兼務している。

 暴阿組
 組長は三代目の暴阿観留。初代は神戸の港
湾荷役の仕事から始まり、その手腕に次第に
人が集まり、暴阿組となった。
 現在の暴阿組は警察のマル暴対策により、
次第に衰退しつつある。
 この物語の主人公である苦俺釜美は三代目
暴阿観留の孫娘である。

 鯛弐組
 組長は初代 鯛弐礼二。
 三宮を中心として、出て来た新興の組織。
 組長自らもそうであるが、構成員の身長が
小学生並みに、皆一様に低い。
 この組織に入る為には、身長が1メートル
以下というのが絶対条件である。


 第一章 釜美誕生

 釜美は暴阿観留の一人娘『はじめ』の第一
子として誕生した。
 この世に生まれ出た瞬間にこの子の数奇な
運命は始まった。

 観留の娘のはじめは、やくざである父を子
供の頃から、とても恥ていた。
 成長して成人となってからも、それは変わ
らなかった。
 観留は、はじめに、事ある毎に、早く結婚して、
組の跡継ぎを生んで欲しいと云う様な事を言
っていた。
 はじめは自分の子供には組の後を継がせる
気など、毛頭無かった。
 はじめは商社に入社し、同僚の苦俺釜地と
恋に落ちた。そして、やがて、結婚しようと
成った。
 しかし、観留の反対にあって、駆落ち同然
に家を出て、苦俺と同棲生活を始めた。
 やがて、はじめは妊娠し、二人にはかわい
い女の子が誕生した。
 赤ん坊が出来たと同時にはじめは入籍した。
 頑固に反対していた観留も赤子が出来たの
ではしょうが無いと、この頃、やっと二人の
結婚を認めた。

 共働きの二人は釜美を母のやち子に預けて、
夕方、引き取りに来るという生活を続けた。
 やがて、小学生と成った釜美は学校から帰
ると、暴阿組の組員を相手に遊ぶという日々
を送っていた。
 いつも大人を相手に遊んでいるので、お転
婆で、ませた小学生に成っていた。
 小学校では、いつもリーダー的存在で、け
んかでは男の子にも負けた事が無く、男の子
にも一目置かれていた。

 そんな、ある日、授業を終えて、釜美が組
に帰ってみると、何時もの組の雰囲気では無
い何か慌しいものを小学生の釜美は感じた。
 この日は、新興の暴力団、鯛弐組との出入
りが始まった日で、組の中はざわざわしてい
た。
 鯛弐組とは、三宮を中心に出て来た新興の
暴力団で、神戸を中心とする暴阿組とは、事
ある毎に衝突していた。
 鯛弐組は全国でも珍しい暴力団で、組長を
はじめとして、皆、小人である。
 組員は元サーカスの団員だったり、プロレ
スの前座のちびっ子レスラーだったりしてい
る。
 
 出入りが終わり、暴阿組の組員が帰ってき
た。皆、それぞれ、多少なりとも負傷してい
た。
 中でも重症だったのが、若頭の老楠羅府羅
で、腹に銃弾を受けて、大量の血を流してい
た。
「羅府おっちゃん、どうしたの?お腹痛いの?」
 釜美はお腹から血を流す羅府羅を見て、泣
きながら云った。
「お嬢。大丈夫だ、おっちゃんはこのくらい、
何ともねー」と羅府羅は歯を食いしばりなが
ら呻くように云った。
「うわーーん。おっちゃん!」
 組員は「さ、お嬢」と云って、泣きながら、
羅府羅に縋る釜美を引き離すと、羅府羅を車
に運んだ。羅府羅はその後、病院で帰らぬ人
となった。
 釜美はこの時から、小さいながらも、将来、
お医者さんに成って、怪我している人を助け
るんだと決意した。

極道日記(19) 最終回

 吹き飛んだ玄関をめがけて、裸婦裸は更に
ショベルカーを前進させた。
 バリバリバリッ
 ミサイルによる破壊でメチャクチャに成っ
た玄関口をショベルカーは突き進んだ。

 檻組長は酒を飲みながら、2階の宴会場で、
Dear風呂組の幹部と談笑していた。
 突如、もの凄い音ともに、家が揺れた。は
じめ、地震かと思ったが、どうも、そうでは
無いようだ。
 宴会場の外が騒がしい。
 慌てて、2階の手摺越しに階下のホールを
見ると、驚いたことに、ショベルカーが屋敷
の中へ入って、ホールを縦横無尽に破壊して
いるではないか。
 ショベルカーに乗っているのは、何者だと
思った。2階から、目を凝らして、見て、驚
いた。
 なんと、組を破門した、裸婦裸だった。
「あの野郎!何やってやがんだ!」
 地団駄を踏んで、檻は悔しがった。
 横に美湯が来て、檻に向かって、怒鳴った。
「何なのこれは!あれは、あなたの所の、裸
婦裸じゃないの!謀ったわね!」
 檻はおろおろしながら弁解した。
「いや、違う。あの野郎はとっくに破門した。
今は組の者じゃねー」
美湯はいらついたように言った。
「どうして、破門された人間があたし達に牙を
向いてんのよ!」
 あまりの美湯の怒気に気おされて、檻は更
におろおろした。
「そ、そんな事、俺に言われてもなぁ」
 美湯はそんな檻を見て、呆れたらしく、
「あなた、それでも、組長なの?もー、話に
なんないわ」と言うと、奥の部屋へ行き、機
関銃を持ってきた。
 美湯は機関銃を構えると、下でショベルカー
を縦横無尽に走らせている裸婦裸めがけて引
き金を引いた。
 ダダダダダダダッ
 銃弾はショベルカーめがけて、雨のように
降った。
 ブシュッ!
 銃弾の一発が裸婦裸の肩に当たった。
 だが、しかし、防弾チョッキが、その一発
を防いだようだ。
 裸婦裸は素早く、ショベルカーから降りて、
銃弾の嵐を避けた。
「ちっ。ショベルカーの影に隠れたわ」
 美湯は悔しそうに言うと、檻に機関銃を渡
した。
「元はあんたん所の者でしょ。あんたが始
末しなさいよ」
 美湯から、機関銃を突きつけられ、仕方な
しに受け取った。
「俺がやるのか?」
 実は機関銃の扱いを知らないのだが、仕方
ない。こうなったら、成るように成れと思っ
た。
 バリバリバリッ
 裸婦裸がショベルカーを楯にして、自動小
銃で応戦して来た。
「ひ~~!」
 檻は驚いて、機関銃を放し、両手で頭を覆
い、その場にうずくまってしまった。
「だ、誰か、居ないのか?組の者はどうした?」
 周りを見ると、誰もいない。さっきまで、横
にいた美湯も居なかった。
 殆どの人間が退散してしまったようだ。
 今や、その場所に残されたのは、裸婦裸と
檻組長だけだった。
 裸婦裸が、小銃を構えて、階段を昇り、ゆ
っくりとこちらへやって来た。
「おやっさん。いや、檻さん。俺は、つくづ
く、あんたを見損なったよ」
 裸婦裸は煙草を吸うと、苦やしそうに言っ
た。
「またもや、美湯を逃してしまった。俺はし
ばらく、身を隠すとするよ」そう言うと、悠
然と去って行った。
 残された檻は、その場にへたり込んだまま、
唖然としていた。
 遠くにパトカーのサイレンの音が聞こえて
きた。


              おわり

極道日記(18)

 丁度、映画のランボーのようないでたちだ
った。

   ・・・・

 『手打ち式会場』
 Dear風呂の広い庭に面する道路には、黒塗
りの高級車がずらっと列を成していた。
 その内の一台から、檻々組の組長、別区 
檻が降りて来た。
 Dear風呂組の干す徒がずらっと並ぶ中を葉
巻を咥え、悠然と歩き、家の中へ入って行っ
た。
 檻組長の後には、来流 信が従っていた。
 その後も続々と、檻組の幹部とDear風呂組
の幹部が高級車で乗りつけた。
 Dear風呂周辺は黒い車でいっぱいに成った。
 付近の住民は遠巻きに、この様子を不安げ
な表情で見守っていた。
 マスコミもやってきた。蟻が砂糖に群がる
ように、何処から来たのか、カメラとマイク
を持った人間が続々と集まってきた。
 
   ・・・・

 とうとう、決行の日がやって来た。
 裸婦裸は今まで吸っていた煙草を消すと、
迷彩柄の戦闘服に着替えた。
 腰にはナイフとガンベルトを装着し、防弾
チョッキを着た。肩からは銃弾ベルトを提げ、
頭にはバンダナを締めた。
 全自動拳銃の弾倉に弾丸をカチャッと挿入
し、右のホルダーに収めた。
 次に自動小銃のマガジンをカチャッと収め、
肩からぶら下げた。
 よし、準備万端整えた。
 さあ、いくぞ。と自分に気合を入た。
 ミサイルランチャーをショベルカーに積み、
手榴弾と弾丸を入れたバッグを無造作に運転
席に放りこんだ。
 ショベルカーのキーを取り、乗り込んだ。
 ブルンブルンッ
 アクセルを踏み込み、事前に釜美に教わっ
たDear風呂の手打ち式会場へと向かった。

   ・・・・

 大広間では、Dear風呂組と檻々組の幹部連
中が大きな会議机の周りにずらっと座り、ざ
わざわと談笑していた。
「お集まりの皆様、本日の手打ち式にご足労
願いありがとうございます。ささやかではあ
りますが、あちらの方へ宴会のご用意がして
ございます。本日はお互いの憎しみや、わだ
かまりを水に流して、忌憚なく語り合いまし
ょう」美湯が挨拶をすると、一斉に拍手が沸
きあがった。

 丁度その頃、裸婦裸はDear風呂の門口へ着
いた。門の所にはマスコミの連中が群れを成
して、集まっていた。
 門を入って、300mほど先がDear風呂の
屋敷だった。
 門には見張りの手下が何人かいて、マスコ
ミ連中を睨んでいた。
 裸婦裸はマスコミ連中が邪魔だと思ったが、
ショベルカーのショベルを上げて、そのまま
門の所まで行った。
「おおおーーー!」ショベルカーが突っ込ん
でくるのに驚いたマスコミ連中は蜘蛛の子が
散るように、門から離れた。
 裸婦裸は構わず、そのまま門に突っ込んだ。
バリバリ!ガシャーン!
 大きな音がして、門は壊れた。
 はずみで、何人かの手下が巻き込まれた。
 そのまま、ショベルカーは屋敷に向かって、
突き進んだ。
 屋敷の10m手前で、ショベルカーを停め
ると、裸婦裸はミサイルランチャーを肩に担
いだ。
 ミサイルを装填すると、屋敷の温泉マーク
の扉目掛けて、ミサイルを発射した。
 シュルルル ドガーン!
 もの凄い音と共に、玄関は吹き飛んだ。
 吹き飛んだ玄関をめがけて、裸婦裸は更に
ショベルカーを前進させた。

極道日記(17)

 裸婦裸の憤怒の嵐が、電話越しにびんびん
伝わってきた。

 電話を受けた裸婦裸はしばらくの間、激昂
が納まらなかった。
 手打ち式か、おやじめ、やってくれるな。
 よし、みてろよ、こうなったら、手打ち式
の日が決行の日だ。Dear風呂の幹部連中も集
まっていることだろうし、一挙に叩き潰して
やる。

    ・・・・

 ここはホテルの一室。
 30代後半と見られる女が鞭を手に、男に
命令していた。
「壁に向かって、手をつくのよ!」
 女が持っている鞭は一般に九尾の鞭と言わ
れ、先端が幾重にも別れたもので、これで打
たれると、大きな音がする。
 男はパンツ一枚の半裸状態で、壁に向かっ
て立たされ、両手を壁について、尻を突き出
した。
 ピシーッ
 鞭が男のキュッっと絞まった小さめの尻を
目掛けて打ち放たれた。
「ぎゃっ!」
 男の口から思わず、うめき声が漏れた。
「これぐらいで声を出して、情けないわね。
それでも、あなた、男なの」
 そう言いながら、さらに勢いよく、男の尻
を鞭打った。ビシッビシッ!
 女は黒いエナメルのブラと、お揃いのパン
ツを穿いていた。ブラとパンツにはダイヤカ
ットが付いてキラキラしていた。
 女は鞭打ちながら、快楽の笑みを漏らして
いた。 
 男は来流 信。檻々組の舎弟だ。
 女は釜美。 檻々組の姉御だ。
 二人は檻組長の目を盗んでは、ホテルで密
会を重ねていた。
「ほほほほ」笑いながら、鞭を振り下ろそう
とした時、テーブルに置いた釜美の携帯のバ
イブが震えた。
 ヴヴヴヴ
 携帯を見てみると、裸婦裸からのようだっ
た。
「はい。あたし。うん。そう」
 手打ち式の当日にDear風呂を潰すと言う内
容だった。ついては、場所を教えて欲しいと
いうものだった。
 手打ち式の場所は新しいDear風呂の事務所
だと教えた。
 この前、釜美が行った所だ。
 
    ・・・・

 手打ち式は一週間後に迫っていた。
 一人で戦うには、まづ、十分な武装が必要
だった。
 クレーンやショベルカーなどの重機をレン
タルしている店に行った。
 早速、手打ち式の当日にショベルカーをレ
ンタルした。
 ショベルカーで突っ込むつもりだ。
 武器はミサイルランチャーに機関銃と手榴
弾を用意した。
 これらの武器は檻々組にいた時に揃えてい
た物だ。
 防弾チョッキに機関銃の銃弾ベルト、ナイ
フ、バンダナ。
 丁度、映画のランボーのようないでたちだ
った。
  

極道日記(16)

 釜美は、手打ちの話をつける為、まず、美
湯と会って話し会いをすることにした。
 最初、美湯は釜美からの手打ちの話を拒ん
でいた。
 何度も釜美は電話をした。
 何度か電話をするうちに、やっと、会って
貰えることに成った。
 ただし、条件は釜美が一人でDear風呂へ来
ることだった。
 釜美は護衛の者は付けないで、単身、Dear
風呂へ向かった。

 以前、Dear風呂は雑居ビルの中にあったが

このまえの戦争で、店内はめちゃめちゃにな
ってしまった。
 今は郊外の住宅地の一角にある、平屋建て
の建物に移っていた。
 へー、以外と良い所に住んでるわねと、釜
美は思った。
 玄関の扉には温泉マークがあった。
「ピンポーン」
 玄関のチャイムを鳴らすと、手下の干す徒
が出てきた。
「檻々組の釜美よ。美湯さんに話は通ってい
るわよ」
 釜美が一人であることを確認すると、干す
徒は丁寧にお辞儀をした。
「こちらへ」と言って、釜美を家の中へ招き
入れた。
 奥の部屋に通された。
 奥まった部屋の扉の前で立ち止まり、扉ご
しに干す徒は言った。
「釜美様がいらっしゃいました」
 部屋の中から、透き通った女の声が聞こえ
てきた。
「中へ入って貰って」「こちらへ、どうぞ」
と言って、干す徒は扉を開け、釜美を部屋へ
通した。
 部屋の中には、ゴージャスに着飾った女が
一人掛けのソファー椅子に座っていた。
 女は椅子から立ち上がると、釜美の近くま
で来て、干す徒に目配せした。
「釜美さん。悪いけど、チャカを持っていな
いか調べさせて貰うわよ」
 干す徒が釜美の体に触ろうとした。
「何すんのよ!そんな物、持ってないわよ!

と言って、干す徒の手を払い退けた。
 美湯は鼻でふふんと笑って、言った。
「それもそうね。どうやら、危ない物は持っ
ていないようね。単身で来た度胸に免じて、
信じてあげるわ」
 釜美は、美湯を気に入らない女だと思った

 偉そうにしているが、所詮、風呂屋の成り
上がりの娘じゃないかと思った。
「ところで……、手打ちをしたいそうね」
 美湯が煙草をくわえると、素早く、干す徒
が火を点けた。
「この戦争を終わらせる為には、相当の覚悟
が必要よ。お宅はどんな条件がある訳?」
 美湯は煙草の煙を、ふーっと釜美に向けて
放った。
 釜美はごほごほと咳込みながら言った。
「まぁ?その前に、そちらの条件を聞こうじ
ゃありませんか。おほほほほ」
 話し合いは難航したが、なんとか、話をつ
け、お互いの合意が出来た。
 手打ち式の日取りも決まって、無事、釜美
はDear風呂をあとにした。

 組に帰って、檻に報告した。檻は上機嫌だ
った。
「そうか、良くやった。これで、檻々組は安
泰だ。これからは、心機一転、巻き返しを計
るぞ」
 檻は喜んでいるが、釜美は、どうも面白く
なかった。
 檻に報告したその後で、裸婦裸にも電話で

報告した。手打ち式の日取りと、事の次第を
詳細に話した。
 ことの次第を聞いて、電話の向こうで、裸
婦裸は歯軋りをしていた。
「そうか。姉さん、悔しかったことでしょう

俺は情けないっす。腑抜けの檻おやじとは縁
を切って、もう、組には縁の無い俺ですが、
このままで終わりにはしませんよ!」
 ふーっと一息ついて、釜美は電話を切った

 裸婦裸の憤怒の嵐が、電話越しにびんびん
伝わってきた。

極道日記(15)

 第三章 手打ち

 檻々組、Dear風呂組の抗争は、両者に多大
な犠牲と損失をもたらした。
 檻は、疲弊した組の建て直しを計るため、
一旦、手打ちをすることに決めた。
「さて、手打ちと言っても、こちらから、折
れる訳にはいかねーな。そこでだ、釜美。
ここは、ひとつ、親善大使となって、Dear風
呂に行ってくれ」
 釜美はDear風呂と手打ちをする事が不満だ
った。
「おまえさん。本当に手打ちをするのかい?
あたしは、手打ちなんて嫌だね。手打ちをす
る位なら、死んだほうがマシだわ」
 釜美の言葉に、それまで、柔和だった檻は
みるみる表情を歪め、言った。
「なんだと!俺の指図に従えねーってのか?

 檻の怒気を含んだ言葉に釜美はすくんだ。
「わかったわよ。やりゃいいーんでしょ。や
りゃ」
 釜美はしぶしぶ、親善大使の役目を引き受
けた。
 ふと、破門になった裸婦裸の事を思いだし
た。
 この事を裸婦裸に教えれば、きっと、一波
乱、起こしてくれるものと期待した。

極道日記(14)

「やりやがったな!」裸婦裸の怒声を合図に
両者が睨み合った。

 両者とも睨みあったまま、永遠とも思える
長い沈黙が続いた。
 沈黙を破ったのは、美湯に肩を撃ちぬかれ
た竹部だった。
「うぉー!」と言う唸り声と共に、日本刀を
振りかざして、美湯ママめがけて突進して行
った。
 とても、肩を怪我している男には見えなか
った。その形相は鬼神のようであった。
 竹部は狂犬が疾駆するが如く、美湯めがけ
て猛然とダッシュした。
 だが、既に武器を構えている干す徒達の格
好の餌食となってしまった。
 ダダダダダダッ!
 日本刀を振りかざして疾駆する竹部めがけ
て、干す徒がマシンガンを撃ち放った。
 裸婦裸はスローモーションを見ているよう
な錯覚に捉われた。
 機銃が放つ銃弾の嵐に翻弄され、まるで、
めちゃくちゃなダンスをしているような、竹
部を見た。
 マシンガンの銃弾により、強制的に死のダ
ンスを踊らされた竹部は、やがて事切れて、
どさっと床に崩折れた。
「竹部!」裸婦裸は床に崩折れた竹部を見て
短く叫んだ。「ヤロー!」裸婦裸は拳銃を乱
射しながら、干す徒めがけて突っ込んだ。
 これをきっかけてとして、両者の睨みあい
の均衡は崩れた。
 うおーっと言う、喚き声と共に両者は入り
乱れて、乱闘となった。

   ・・・・

 付近の住民が通報したのか、パトカーのサ
イレンの音が近づいて来た。
 サイレンの音を聞きつけて、現場は蜘蛛の
子を散らすように、人が居なくなった。
 何人かの干す徒と檻々組の組員が床に転が
っていた。
 Dear風呂と檻々組の両者は多大な犠牲を払
った。
 自らも負傷した裸婦裸と数名の組員は事務
所に戻って、檻に報告した。
「おやっさん。竹部は死にました。その他、
10数人の組員も殺られました。敵の奴らを
10数人ほど殺りましたが、美湯は殺りそこ
ねやした……」
「そうか……」
 裸婦裸の報告を聞いた檻は目を瞑って、沈
黙した。
 それを見て、姉御が言った。
「あんた、何を考えてんのさ?この機会にい
っきにDear風呂を潰して、おしまいよ」
「バカヤロー!」沈黙を破って、檻は怒鳴っ
た。
「戦争するばかりが能じゃねー。ここらで、
手打ちといくか」
 神妙に言う檻を見て、裸婦裸は腑に落ちな
かった。死んで行った、観留、理恵男や竹部
はどうなるんだ?俺はこのままでは引き下が
らねーぞと思った。
「おやっさん。それはあまりにも安易すぎや

しやせんか?死んで行った仲間はどうなんね
ん?!」「何だ?裸婦裸。俺の命令が聞けねー
って言んか?」
 檻は低いドスの効いた声で言った。
「おおーよ!いくら、おやっさんの命令でも

こればっかりはきけねー!俺ぁ一人でもやる
ぜ」
「ばかやろう!てめえは破門だ。出てけ」
 裸婦裸はあっさりと破門されてしまった。
 
 事務所を去り、自宅で酒を飲みながら考え
た。
 俺の人生は何だったんだ?組の為、尽くし
てきた、この半生はいったい何だったんだろ
うか?
 組を破門され、裸婦裸は自分に誓った。
 俺は一人でも、Dear風呂を潰す。やってや
る。俺の残りの人生は今、無くなった。
 どうせ、無い人生だ。思いっきり暴れてや
る……。

極道日記(13)

 栗は店内へ戻った。
 店内では、ブラとパンツだけになったルミ
が、干す徒達におしぼりを投げつけたり、ソ
ファーのクッションを投げつけたりと、大暴
れをしていた。
 間もなく檻々組が乗り込んでくるわ。早く

あの子達を安全な場所に移さないと。
 栗は早足で、ルミの側に行くと、ルミの手
を引っ張った。
「まぁ!この子は、何をしてるの!ちょっと

こっちへ来なさい」と、強引に手を引きなが
ら、利美とやっちんにも言った。
「あなた達も、ぐずぐずしてないで、こっち
へ来なさい!」
 と、言いながら、入口のドアの前まで、早

に歩いた。残りの二人もついて来たようだ。
 よかったと、一安心していると、檻々組の
裸婦裸を先頭に組員が温泉マークの付いた
Dear風呂のドアの前まで、どやどやと押し
掛けてきた。
 裸婦裸はあたし達を見つけて、心配そうに
聞いた。
「ママ、大丈夫か?」
 裸婦裸の姿を見て、今までの緊張がいっぺ
んに解けた。この抗争もこれで終結かと思っ
た。
「ええ。大丈夫よ。それよりも、早く、片付
けちゃって」
「まかせとけ」そう言うと、裸婦裸は手下を
従え、店内にどやどやと入って行った。


 いきなり現れた、見るからにやくざ風の男
達を見て、美湯ママは驚いた。
 とうとう、やって来たかと思った。
 先日から、『檻々組』とか言う、地元の新
興の
暴力団と、うちの干す徒達の間に、いざこざ
が絶えなかった。
 こういう時に備えて、普段から訓練をして
いた甲斐があったと思った。
「なんです?あなた達は!」
 先頭の厳つい顔をした男には見覚えがあっ
た。先日、うちの店へ来た、オカマだ。その
他にも見覚えのある顔が何人かいた。
 裸婦裸は薄笑いを浮かべながら、言った。
「俺は檻々組の裸婦裸だ。憶えてるか?この
前、ここへ遊びに来たオカマの裸婦裸子だよ

 やっぱり、と思った。変なオカマが四人も
大挙して押し掛けて来たときから変だと思っ
ていた。
「憶えているわよ。お客さんの顔と名前は一
度聞いたら、忘れないわ。商売ですから」
「そうか。そんなら、話は早えーな。ママの
命と、そこに居る、干す徒の命貰いに来たぜ

 今だ!と思った。美湯はスカートを捲ると

太股のホルスターから、拳銃を素早く抜くと

パンパンと2発撃った。
「うぎゃー!」
 雑巾を引き裂くような声が裸婦裸の後ろで
起こった。組員の一人が銃弾を受けた。
 竹部だった。肩から血を流していた。

 こういう場面を想定して、銃器をテーブル
の裏に隠して、備え付けておいて良かったと
思った。
 干す徒たちは既に、それらの銃器で武装
していた。
「やりやがったな!」裸婦裸の怒声を合図に
両者が睨み合った。

極道日記(12)

「はい。大丈夫です」やっちんはフラフラと
自分の席についた。
 フラつくやっちんを見て、ルミは心配そう
に言った。「ねぇ?大丈夫?」「え?大丈夫
よ。うん。大丈夫」
 やっちんは、干す徒に、さんざん、エッチ
なことをされ、思考回路がほとんだ止まって
いた。

   ・・・・

 栗はどうしたものかと思案した。
 今、干す徒達は、あちらのテーブル、こち
らのテーブルへと、あちこちに分散していた

 外で待機している檻々組を店内に忍び入れ
る前に、干す徒達を出来るだけ一箇所に集め
て於きたかった。
 そこで、一計を案じた。
 栗はルミに耳打ちして、ヒソヒソと話した

 酔った振りをして、着衣を脱ぎ、騒いで、
干す徒達を引き付けて欲しいと頼んだ。
 それも、面白いわね、と言って、ルミは酔
った振りをして、大袈裟に騒ぎ始めた。
「てやーんでー!バカヤロー!あたしの酒が
呑めないってーの?」
 ルミは横に就いていた干す徒に絡み出した

 それまで、おとなしかったルミが急に騒ぎ
始めたので、干す徒は面食らった。
「ちょっと、お客さん。どうしたんですか?
急に……。静かに、飲みましょう。ね?ね?

 宥めるように干す徒が言うと、ルミは調子
にのって更に大声で騒ぎ始めた。
「なんだと?バカヤロー!それでも、お前は
ホストか?悔しかったら、あたしを黙らせて
みろってんだ!」
 巻き舌で喋りながら、ルミは着ていたセー
ターを脱ぎ始めた。
「あー、暑いわ、この店内。暖房、効かせ過
ぎなんじゃーないの?駄目ねー。これからの
時代はエコよ。エコ!」
 と、言いながら、シャツを脱ぎ捨てた。
 上半身はブラのみになった。
「ちょっと、ちょっと。お客さん。困ります

 干す徒はおろおろしながら、ルミを制止し
ようとした。
「キャー!何すんのよ!このドスケベ!あた
しに触んないで!」
 ルミを制止しようとする、干す徒の手を払
いのけ、今度はスカートを脱いだ。
 この騒ぎを聞いて、周りにいた干す徒たち
が、ぞくぞくと集まってきた。
「ちょっと、お客さん。だめですよ。服を脱
いじゃ」
 他の干す徒が制止しようとしたが、ルミは
大声で喚いた。
「キャー。止めて!このドスケベ!」
 今や、ルミは苺柄のブラとパンツだけに成
っていた。
 作戦は当たり、「何だ?何だ?」と、干す
徒達が、集まってきた。
 今の内だとばかりに、栗は店をそっと抜け
出して、店の外で待機しているはずの裸婦裸
へ携帯で連絡した。
 程なく、裸婦裸が携帯に出た。 「おう。
俺だ。首尾はどうだ?」「今のうちよ。干す
徒達はルミが引き付けているから、一箇所に
固まっているわ」「そうか。ご苦労」
 よし、これで、いいわ。後は、あの子達を
干す徒から離して、安全な場所へ移動しなき
ゃ。
 栗は店内へ戻った。

極道日記(11)

「わかったわ。明日、先に私たち
がDear風呂へ行って、干す徒達をひきつけて
おくわ」

 翌日の夜、栗ママは店の子を三人、引き連
れて、Dear風呂へ向かった。

 栗はドアを押して、店内に入った。すごい
美人のママが応対をした。その女の廻りには
色気がむせかえるように漂っていた。オーラ
というか、何というか、周りにピンクのハー
トマークが立ち上っているのが見えるような
錯覚を覚えた。
 女のあたしが見てもクラクラときそうなく
らい、綺麗だと思った。
「いらっしゃいませ」
 この人が美湯ママかと思った。
 テーブルに着くと、「どうぞ、ごゆっくり

と言いながら、ママは向かいのテーブルへ行
ってしまった。
 代わりに、干す徒達がやって来た。
「本日は当店をご利用頂き、誠にありがとう
ございます。当店ではスペシャルサービスと
致しまして、ドンペリのプラチナ、ゴールド
をご注文為さったお客様には、お姫様だっこ
をサービスさせて頂きます」
「何?お姫様だっこって?」
 やっちんはとても興味ありそうに聞いた。
「はい。私どもが、貴女をだっこして、店内
を走り廻るというものです。Dear風呂の名物
でございます」
 やっちんは目をキラキラさせて言った。
「わーい。それ良い。ねぇママ、良いでしょ

プラチナ」
 この子ったら、本来の目的を忘れていない
でしょうね?と心配になったが、仕方がない
ので、言う事を聞いてやった。
「この子ったら。仕方ないわね。じゃー、プ
ラチナをお願いします」
 干す徒達はどよめいた。
「おおー。さすが、マダム。では、スペシャ
ルサービスの前に、私どもの手拍子で拍手を
させて頂きます」
 そう言うと、干す徒たちはずらっと、栗マ
マたちを囲むように並ぶと、手拍子を取りな
がら、リズムに乗って、拍手をしだした。
 一通り、手拍子が済むと、干す徒は言った

「では、お姫様だっこをさせて頂きます」
 栗は慌わてて、断った。
「あ、あたしは良いですから。ここ子たちを
お願いね」
 やっちんが、はい!と笑顔で元気良く、手
を上げた。
「では、失礼します」
 干す徒は、やっちんを抱っこした。
「きゃー、あはは。やだー」
 やっちんは笑いながら、干す徒にお姫様だ
っこをされた。
 お姫様だっこをしている干す徒の右手が、
丁度、やっちんの右の乳房に触れていた。
 あら?あたしのおっぱいに、この人の手が
……。
 干す徒はもの凄い勢いで駆け出した。
 自然、干す徒が触れている右の手にも力が
入り、やっちんの右の乳房を激しく揉みしだ
く様な按配になった。
 干す徒の手が……。ああ……。気持ち良い
。 
揉みしだかれる右の乳房に感じて、思わず、
はぁと吐息が漏れた。
 乳首も少し勃起してきたようだ。
 干す徒の腕の中に抱かれて、激しく上下に
揺れる身体と相まって揉みしだかれる乳房が
とても心地良かった。干す徒の首に廻した左
手に思わず、力が入った。
 うっとりした気持ちで抱かれていると、干
す徒の声が耳に入ってきた。
「はい、これでお終いです」
 干す徒は店を三周すると、やっちんを降ろ
そうとした。
「いやー!もう一回、やってーん」
 やっちんは鼻声で干す徒にねだり、離れよ
うとしなかった。
 干す徒は苦笑いをして言った。
「しょうがないですねー。それでは特別にも
う一回だけして差し上げます」
 そう言うと、干す徒はまた、やっちんを抱
え、店の中を廻りだした。
 わざとかどうか分からないが、今度もまた

干す徒の手はやっちんの乳房を掴んでいた。
 今度は前回よりも更に大胆になっていた。
 やっちんの乳房を手の平でほとんど覆うよ
うな形になっていた。
 大きくも無く、小さくもない、程よい大き
さの乳房は男の右手にすっぽりと納まってい
た。
 やっちんは思った。この人、確信犯だわ。
 今度は干す徒の手の平は器用にも、時には
強く、時には柔らかくやっちんの乳房を揉ん
だ。
 あぁぁぁ。気持ち良い……。連続2回のお
姫様だっこで疲れたのか、それとも、わざと
なのか、いつの間にか、干す徒の走るスピー
ドは落ちていた。今やほとんど、走るのを止
め、やっちんを抱いて、歩いていた。
 その間も干す徒の右手は休む事なく、やっ
ちんの右の乳房を揉みしだいていた。
 右の乳房だけを執拗に揉みしだかれたやっ
ちんは、終わる頃にはぐったりし、抱っこか
ら降ろされた時、少しふらついた。
「大丈夫ですか?お客さま」
 干す徒はにやけた顔でやっちんの顔を覗き
こんだ。
「はい。大丈夫です」やっちんはフラフラと
自分の席についた。

極道日記(10)

 その夜遅く、キャバクラ『栗』へ檻々組の
信がやってきた。
「あら、信さん。いらっしゃい」
 信は松葉杖をついていた。白いギプスが痛

しかった。
 今日の信はいつに無く、真剣な顔をしてい
た。どうしたのかしら、信さん。怖い顔をし
て。
「信さん。怖い顔をして、どうしたんですか
?」
「あ、すまん。実はな急な話で申し訳ないん
だが、どうしても、ママに手伝って欲しい事
があるんだ」
 信はドア付近に立ったまま、神妙な顔つき
で話しだした。
「あ。ごめんなさい。足が悪いのに、こんな
所で立ち話をしちゃって。ささ、こちらへど
うぞ」
 信に店のソファーを勧めた。信は言い難そ
うに話だした。
「実は、明日、Dear風呂を急襲することが決
まったんだ」
 とうとう、Dear風呂との全面戦争が始まる
のね。この先、檻々組はどうなってしまうん
だろう。
 怖くて、ガタガタ身震いがしだした。
「そう。何時かは、こうなるんじゃないかと
思ってはいたけど。でも、急な話ね」
「そうなんだ。観留に続いて、理恵男も殺ら
れたようなんだ」
 いきなり、理恵男の話がでて、栗は驚いた

「え!?今なんて……。理恵男も……」栗は絶
句した。信の口から出た言葉は衝撃的内容だ
った。
「そうなんだ。理恵男はDear風呂の美湯ママ
を狙って、鉄砲玉となったんだが、失敗した
らしい。その後、音沙汰が無いんだ」
 驚くべき言葉が信の口から発せられた。急
には信じられない内容だった。うそだと思い
たかった。
「ね!信さん、うそでしょ?!理恵男が死んだ
なんて、うそよね!?」栗は信の腕を掴んでガ
クガクと揺さぶった。
 信は顔を背けて言った。
「いや、本当なんだ。済まない……。栗ママ

 いやー!理恵男が死んだなんて……。とて
も信じられない。栗は携帯で理恵男に電話し
た。出ない……。いつもは、すぐ携帯に出る
子なのに、出ない……。
 しばらく、呼び出していたが、何時までた
っても、理恵男は出てこない。携帯の呼び出
し音が虚しく聴こえるだけだ。
 栗は携帯を投げ出して、ワーッっとソファ
に突っ伏した。
「栗ママ……」
 ソファにうつ伏せのまま、泣いている栗に

信は優しく背中をさすった。
「こんな時に、こんな事をお願いするのは非
常に辛いんだが、理恵男の弔い合戦だと思っ
て、ここは栗ママにぜひ、協力して欲しい事
があるんだ」
 栗は泣きながら、信の話を聞いた。
「で、どんな事をすればいいんですか?」
「やってくれるか?ママ。明日、Dear風呂組
を急襲するんだが、先立って、ママは何人か
店の子を連れて、Dear風呂組の客となって欲
しいんだ。
 そして、店内の様子を見計らって、俺達を
誘導して欲しいんだ」
 栗は信の話を聞いて、理恵男の弔い合戦だ
と思い、承諾した。
「わかったわ。明日、先に私たちがDear風呂
へ行って、干す徒達をひきつけておくわ」

   ・・・・

 栗ママは店の子に事の成り行きを説明した

協力してくれる子を募ったところ、利美と、
先日入店した、新人のやっちん、ルミの三人
が申し出てきた。

   ・・・・

 ここで、新人さんの紹介です。
 キャバクラ『栗』に先週、二人の新人が入
店しました。
 ―― キャバ嬢 やっちん
 ルミの友達である。二人は同じ大学の
同級生だ。何かお金に成るバイトは無
いかと探していた時に、一度、ルミから、お
兄さんが通っていると聞いたキャバクラを思
い出し、ルミと一緒に面接に行き、バイトが
決定した。
 エッチ大好きで、キャバ嬢は天職になるか
も、と思っているようだ。
 また、武道も嗜み、空手三段の腕前だ。

 ―― キャバ嬢 ルミ
 亡くなった観留の妹である。
 観留とルミは仲の良い兄妹だった。
 Dear風呂組を恨み、いつかは仕返しがした
いと思っていた。
 生前、兄が親しく通っていた、キャバクラ
『栗』を思い出し、入店した。
 Dear風呂組の干す徒が来るかも知れないと
思い、復讐の機会を密かに伺っていた。

極道日記(9)

 檻は携帯を取りだし、理恵男に電話をして
みた。・・・やはり、出ない。あれから、数
日経っても、理恵男からの連絡は何も無かっ
た。
 檻々組の事務所でもあるカフェ『オロオロ

には裸婦裸が来て、コーヒーを飲んでいた。
「理恵男の奴、しくじったな?裸婦裸、理恵
男から何も連絡ないか?」
「おやっさん。連絡は何もありません。アパ
ート
にも帰ってないようだし。Dear風呂の奴らに
殺られたか?」
「そうか……。これで、二人目だな」
 普段は沈着冷静な檻の胸に怒りがふつふつ
と込み上がってきた。
 それまで、グラスを磨いていたが、棚に戻
した。テーブルの上を拳でドンと叩き、怒声
を放った。「もう、許せん!全面戦争だ!
Dear風呂組を叩き潰してやる!」「裸婦裸、
みんなを集めろ!これから、作戦会議だ」
    
   ・・・・

 その夜、裸婦裸の招集命令で、檻々組の全
員が『オロオロ』に集まった。
 凶弾に足を撃ちぬかれた信も松葉杖をつい
て、来ていた。
 裸婦裸を囲んで、Dear風呂急襲の作戦会議
が開かれた。
 組員の一人が「作戦なんざー、必要ねえ!
ようは、殺りゃーいいんだよ!殺りゃー」と
喚きちらした。裸婦裸がギロッとその組員を
睨み付けると、組員は縮みあがり、忽ちおと
なしくなった。
 会議中は組員の怒声が渦まいた。しばらく
して、作戦会議は終わった。
「信。作戦について、全員に解かり易いよう
に説明してくれ」裸婦裸はホワイトボードの
横の椅子に座ると、信に命じた。
「へい。了解しやした」
 信はホワイトボードに作戦名を書いた。
「作戦名は『砂漠の中のお風呂』だ。
 この作戦について、説明しようと思う。
 まず、キャバクラ『栗』のママが数名のキ
ャバ嬢を連れて、客として、Dear風呂に入る

 一度、かしらは用助達を連れて、Dear風呂
に行ったんだが、もう、素性はばれているの
で、野郎ではだめだ。そこで、今回は栗ママ
に少し手伝って貰おうと思う。
 Dear風呂に着いた栗ママは干す徒達を引き
付けておく。
 かしら達はDear風呂の外で待機する。栗マ
マは様子を見て、かしら達をDear風呂店内に
導く。
 その後、栗ママはキャバ嬢達を安全な場所
にそっと導いておく。
 その他の客がいた場合は仕方ないな。堅気
の連中には迷惑をかけたくないが、この際、
仕方あるまい。
 Dear風呂店内に入った、かしら達は油断し
ている、干す徒達を片っ端から、撃ち殺す。
 
このとき、間違って、一般人は撃たないでく
ださいよ、かしら。
 そして、最後に美湯ママはかしらが殺る。
 決行は明日の夜だ。9:00にカフェに集合し
てくれ。以上だ」
 信が説明を終えると、カフェ内はシーンと
静まり返った。
「ごくろう」裸婦裸は組員を見回して言った

「いいか、干す徒は一人残らず、殺るんだ。
一人たりとも生きて帰すな!いいな!」
「おー!」
店内に野太い声が響いた。

 会議を終えると、カフェの中は俄かにざわ
ついた。
 武器を用意する組員でごった返していた。
 ナイフは言うに及ばず、日本刀、拳銃、自
動小銃などを用意しだした。
 どうやって、手に入れたのか、中には、ミ
サイルランチャーまで、出てくる始末だ。